ババン時評 またも出ましたデータ改ざん

企業のデータ改ざん事件が続く。企業不祥事の原因は、一言で言えば「人間」である。どこからわが国製造業の人間的な“ゆるみ”が始まったのだろう。今回、製品検査データの改ざんが露呈したKYB㈱は、3年前に社名変更。それ以前は、戦前からの社歴を持つ優良企業の「カヤバ工業」だった。

不正の要因を探ればいろいろあり、要員不足もその1つであろうが、生産管理の3要素である原価・品質・納期管理の締め付けが、手抜きのできる品質管理にしわ寄せされたということでもあろう。

日本の製造業は、戦後の「安かろう悪かろう」の稚拙なモノ作りから始まった。しかし、昭和40年代からは世界に誇る「品質管理」があった。そして、「QC(品質管理)サークル」による小集団活動が品質向上に大きな役割を果たした。現場の作業員が熱心に製造現場の問題点を探り、改善案を検討し合っていたから、問題点や不正を隠すということはなかった。

それに比べて現代は、長年かけて業務に精通していく終身雇用制もない。社員の自己啓発マインドも低下しがちである。不正規社員や中途採用社員が増えている。働き過ぎは罪悪、残業規制優先である。世界に例のない純日本的な自主活動のQCサークルなどは流行らない時代になった。

QC全盛時の現場には、不正を除去する「透明性」があった。いまさら昔に帰るすべもないが、不正防止に限って言えば、やはり現場の透明性とモラル、現場と中間管理職と経営陣をつなぐ情報伝達の建て直しだろう。(2018・10・24 山崎義雄のHP「ババンG」に同テーマの拡大エッセイあり)

ババン時評 安倍首相の“弁論術”への疑問

前の国会で、安倍総理は、「丁寧に説明してご理解をいただく」と言った。3選を果たしても、次の国会ではまたモリカケ問題が再燃する。国民は辟易する。首相得意の“弁論術”だけで野党を説得し、国民の理解を得るのは難しい。国民の政治不信は募る一方である。

政治への信頼が低下するということは、政治家への信頼が低下することであり、政治家への信頼が低下するのは、政治家の言動への信頼が低下することであり、政治家の言動への信頼が低下するのは、政治家の言動に真実さ、誠実さ、道徳観がないからである。

それでは「丁寧に説明してご理解を」得るのはムリである。政治不信のもとが、安倍総理が得意とするような、政治家の「説明能力」の問題でも、「丁寧な説明」の不足でもないことは明らかである。(2018・10・21 山崎義雄のHP「ババンG」に「丁寧に説明してご理解を得る」のはムリ、の小論あり)

ババン時評 下手な絵を描きたい

シュレッダーで裁断されてニュースになったあの絵は、うまい絵なのだろうか。大人の絵を下手だとけなす人は多いが、子供の絵を下手だとけなす人はまずいない。子供のころいい絵、楽しい絵を描いていた人が大人になって描けなくなるのはどうしてだろう。私はいま、いい歳になってまだ少しでもマシな絵、上手い絵を描きたいともがいている。

 

仙人とか超俗の画家などと呼ばれた熊谷守一は、自伝『へたも絵のうち』で、「絵なんてものは、やっているときはけっこうむずかしいが、でき上がったものは大概アホらしい。どんな価値があるのかと思います。しかし人は、その価値を信じようとする。あんなものを信じなければならぬとは、人間はかわいそうなものです」というようなことを言っているそうだ。

 

この言葉、熊谷一流のトボけた味わいを笑っておしまいにすればいいのかもしれない。たぶんそれでいいのだろう。しかし私はこだわってしまう。この言葉には熊谷の自分の絵に対する謙遜の意味合いもあるのかもしれない。しかし、それは熊谷らしくない。こだわって考え込むと、熊谷の真意をつかむのは容易ではない。

 

絵とは何か。たとえばスーパーリアリズムなどといわれる迫真の絵は、迫真ゆえに誰が描いた絵も似かよってしまう。結局は個性のある“へたな絵”こそ絵画の真骨頂だとも言えよう。となると少しでも“上手い絵”を描こうとあがいている私としては、大いに反省し、悔い改めなければならないことになるのだが、さて、どうすればそういう“下手な絵”を描けるのか、悩みは尽きない。(2018/10・20 山崎義雄)

ババン時評 社会保障の片隅で「孤立死」

第4次安倍政権は社会保障政策に力を入れるというが、忘れられているのが高齢化社会においてますます増えていく「孤立死」だ。基本的な統計さえない。低収入や生活苦や自己中心の人生観やらで「未婚」や親に寄生する「パラサイト・シングル」が増えている。彼らは「孤立死」予備軍だ。

 

それに対して、「孤立化」と「孤立死」を防ぐ対策はきわめて心もとない。介護施設への入居、特に特養(特別養護老人ホーム)への入居は希望しても数カ月から数年待ちと言われる。民間の施設は費用面で厳しい。地域の見守りサービスも試行錯誤の段階である。何より見守りサービスなどは、人間味に欠ける“最後の見極め”的であり「孤立化」「孤独死」防止の本質的な対策とは言い難い。

 

当然ながら独居者自身にも、不測の事態に備える覚悟と費用の貯えなどの心掛けが求められる。が、「仕事ひとすじ のち孤立死」は辛い。「生老病死」という仏の教えに現実世界の対策を考えるのが政治だろう。とりわけ「老いること」「病むこと」「死ぬこと」に冷たい政治では困る。(2018・10)

山崎義雄のHP「ババンG」に関連小論あり。ご高覧を!

ババン時評 論拠を持たない?ネット右翼

活字媒体は、書き手はもちろん読み手にもそれなりのアタマ力が要求されるだけに敬遠され、読者離れが止まらない。という話は前にも書いたが、ネット社会の「ネット右翼」の間でも、活字媒体を活用する「ネトウヨ」より、もっぱらツイートを読んで反応する「ネトウヨ」のほうが多いようだ。

朝日新聞(10・5)の「ネット右翼検証」記事によると、不思議な話だが、保守思想を持たない「ネット右翼」がいるらしい。これは、東北大准教授らの8万人アンケート結果の紹介記事である。分析結果は少々ややこしいので、解釈が間違っていたら「ごめんなさい」だが、どうも、こんなことのようだ。

ネット右翼を大きく分けると、「排外主義的傾向があるグループ」(21.5%―中韓への否定的態度や保守的政治志向などを持つ)、「ネットで政治的議論をするグループ」(20.2%―靖国参拝憲法9条などを論議する)、「政治的保守志向がある」(12.8%)の3グループがある。さらにこの3グループにまたがるヘソの位置に、「第4のグループ」(4.7%)がある。

この第4グループを当アンケートでは「中心的ネット右翼」と見ているらしい。そしてこの第4グループをさらに分けて、「保守思想を持つグループ」(1.7%)を中心的な「ネット右翼」と見る一方、「保守思想を持たないグループ」(3.0%)を「オンライン排外主義者」(オンライン上において排外主義的態度を取る者)と見ているようだ。

つまり「保守思想を持つ」ネトウヨより、「保守思想を持たない」ネトウヨの方が多いことになる。そして面白いのは、前者「保守思想を持つ者」は活字媒体を活用し、後者「保守思想を持たない者」は口コミを重視する傾向があるというのである。

誤りを恐れずに言えば、中核的ネット右翼の多くは、口コミ、ツイート記事を主に参考にしながら中韓への否定的態度や保守的政治志向などを表明しているということになる。活字とネットの特質について考えさせられるものがある。(2018・10 山崎義雄)

ババン時評 ネット社会と言論の自由

 

ネット社会の広がるなかで、硬派の活字媒体の低迷が続く。なかでも論壇誌は、書き手はもちろん読み手にもそれなりのアタマ力が要求されるだけに敬遠され、読者離れが止まらない。そうした論壇誌の一つが、また消えることになった。雑誌「新潮45」の休刊だ。

今回の「新潮45問題」に限らず、リベラルに比べて右翼の発言がしにくい世の中になってきたという印象はぬぐえない。第4次安倍内閣の柴山文科大臣は、最初の就任挨拶で教育勅語に触れるとたちまちバッシングを受けた。発言内容の是非はさておき、わずかの失言?も許さない不寛容な時代になった。「新潮45事件」でも、「言論の自由」とは何だろうという素朴な疑問が生じてくる。

休刊・廃刊するなら、世論に“死刑”を宣告されたのではなく、“論壇誌”の衰退という今日的な状況の中で、発行部数減に抗しがたく、経営上の判断によって“自然死”することを決断したというべきだろう。新潮45の休刊・廃刊は残念だが、それが過去のくつかの先行論壇誌廃刊の理由だった。

ともあれ、昨今の、フェイクニュースが飛び交うルール無視の世の中で、極右も極左も含めて、その言論を封じる動きが強まることに危機感を持つべきであろう。右も左もあって言論の幅が広いことが民主主義の基盤ではないか。(2018・10)

これに関しては山崎義雄のHP「ババンG」に小論「ネット時代と言論の自由」があります。ご高覧を!

ババン時評 厄介な腫れ物「憲法9条」

第4次安倍改造内閣で、憲法改正推進本部長に下村博文氏が起用された。安倍首相の目指す改憲は、9条2項の「戦力不保持」に反する「戦力を持つ自衛隊」を認知しようというもの。そしてその「戦力」は、憲法上にいう「戦力」ではないと“強弁”するややこしい「戦力」である。

しかし、改憲反対の野党は、安保法制を廃止して平和憲法に立ち返れというが、中国や北朝鮮など、力にモノを言わせようという相手に、「戦争放棄」「戦力不保持」の旗を掲げて話し合おうというのはムリな話である。

幸い現下の危機への対処には強固な日米協定と安保関連法制がある。憲法改正の「国民投票」を急ぐ必要はない。憲法改正は、まともに9条の改正を論議すべきだ。9条を、政治家も迷う腫れ物にせず、専守防衛自衛権をベースにした戦力の保持について、国民の「国語力レベル」で解る論議を進め、国民の理解と選択を待つべきではないか。(2017・10)

これについては、山崎義雄のHP「ババンG」に小論『厄介な腫れ物「憲法9条」』があります。ご一読下さい。