ババン時評 “漂流国家”韓国の行方

韓国文政権が波間を漂うように揺れている。文大統領は、残り任期1年を切ってレイムダック化しながらも、外交面では、いまだにオリ・パラ開催の日本も巻き込むなどして、米国と北朝鮮の橋渡しをしようとあがいている。内政では直近になって、元慰安婦、元徴用工裁判において文大統領を股裂きにするような逆転判決が続いている。

直近の、元徴用工らによる損害賠償請求を却下したソウル中央地裁判決については、先ごろ「ババン時評」でようやく「文政権の迷走と決別した判決」だと評価したが、韓国では、担当裁判官への脅迫めいた非難まで起こっているようだ。青瓦台の請願掲示板に裁判官への弾劾請願が出され、判決の翌日1日で約20万人が同意したという。文政権だけでなく民意も揺れている。

これは直近の世論調査で韓国民意の健全性を感じたばかりだっただけに残念だ。調査というのは読売新聞と韓国日報の共同世論調査(読売6・9)で、中国が周辺国に軍事的圧力をかけていることを、自国への脅威だと感じている人は日本88%、韓国72%と妥当な判断を示している。

さらに、米国の対中圧力に自国も同調すべきだという意見は、日本59%に韓国は64%と、“親中感”の高い(はずの)韓国のほうが上回っている。総じていえば中国の軍事的圧力に対する日韓の対中警戒感と対米連帯感は極めて高く、日韓の民意は健全だと言える。それだけに今回の元徴用工判決に対する韓国民の異常な拒否反応は残念だ。

本来性善なるはずの国民の判断は健全なはずだが、その国民の判断をミスリードする原因の一端は韓国知識人の言説にもある。今回の元徴用工判決に関連して、読売新聞(6・8)に「変わらぬ日本に失望」と題する、陳昌洙氏(世宗研究所日本研究センター長)の話がある。日韓合意を基本とする日本は「変わらない」が、よく「変わる」韓国が、日本にどう「変われ」というのか。不可解だ。

陳氏は、「韓国では元徴用工問題や元慰安婦の問題は普遍的な人権問題ととらえている。日本では、植民地時代の「過去」の問題との意識が強いのではないか。このズレが問題の解決を難しくしている」と言う。確かに日本は、戦前・戦中の「過去」の清算として1965年の日韓合意を結んだ。しかしこの紛れもない国家間で結んだ「過去」の清算を、「人権問題」として韓国が蒸し返したのだ。

だとすれば「人権」を無視して賠償金の大半を長年にわたって国家建設につぎ込んだ歴代の韓国政府が、どれだけ元慰安婦や元徴用工への賠償に充てたかを国民が国家に問い、今にいたる韓国政府の「人権問題」への取り組みを問うべきだろう。(2021・6・24 山崎義雄)

ババン時評 安保音痴・改憲忌避の立民

立憲民主党を安保オンチというのは、当たらないかもしれない。日本を取り巻く安全保障環境の悪化は立民党議員も知らないはずがない。しかし立民には強烈な改憲アレルギーがある。だから憲法改正の是非を国民に問う「国民投票法」改正の国会論議を忌避し続けた。その結果、約3年、計8国会にわたって間欠的なダラダラ審議が続くことになった。そして今月、ようやく改正国民投票法が成立した。立民党も、これ以上の抵抗は党にとって不利だと読んで賛成に回ったためだ。

改正内容は、百貨店や駅など公共の場での「共通投票場」の開設、航海中の乗組員の「洋上投票」の拡大、投票場に同伴できる子どもを「幼児」から「18歳未満」に拡大、以下、投票方法や選挙人名簿に関する改正など、有権者の利便性を高める措置だ。ほとんどはすでに国政選挙では導入済みの施策で、3年も国会論議を忌避する理由など考えられない改正点だ。

そこで立民党が、今後の抵抗のよりどころとしたのが、国民投票前の各党によるテレビCM規制の強化だ。つまり各党の資金力の違いなどで、国民に対する各党の宣伝が不公平にならないようにということだ。このCM規制すら立民は政争の具に利用するつもりらしい。つまり立民は、改正国民投票法に「付則」を設けさせることによって、CM規制などを今後「3年をめどに検討」することになった。

この玉虫色の「付則」を巡って、自民党では、CM規制の検討と並行して改憲論議を進めることは可能だとする見方を打ち出したが、立民党は、CM規制などの結論が出なければ、改憲論議はできないという主張を強めている。この先3年もCM規制論議を続けるとなると、改憲への一里塚である国民投票法の改正に都合6年の歳月を要することになる。

目を周囲に転じれば、中国の拡張主義的行動はますますエスカレートしている。今月の先進7カ国首脳会議(G7サミット)は、ついに中露の脅威を共通認識とする共同宣言を出した。こうした時局とはまるで関係ないような、改憲論議なし、国民投票法ののんびり改正は、すべて立民党の“主導”によるものである。こんなことでは間違いなく立民は国民に見放されるだろう。

さらに今後は、CM規制以上に大きな問題として、初期の目的だった自然災害対応だけでなく、昨今の新型コロナウイルス、そして今後の安保行動にまで絡んで、国の危機に対処する緊急事態条項が中心的な改憲論議の的となってきた。目前に迫る都議選、衆院選に向けて、国民は、これまで「安保音痴・改憲忌避」を続けてきた立民党が、今後の改憲論議にどう取り組むのか、改めて注視することになるだろう。(2021.6.19 山崎義雄)

ババン時評 運と偶然に感謝する人生

誰の人生にも、運不運が付きまとう。人生の折々に遭遇する問題を正しく判断し、適切に処理することは容易ではない。先に、当欄で「気にし過ぎるな運の良し悪し」に関して、ローゼンタール著『それはあくまで偶然です』を引用した。そこでは統計軽視の偶然論だけを拝借したが、今回はもう少し同書から学び直したい。私流の管見で同書の教えを解釈すると「物事の判断を誤る原因」と「物事の処理にしくじる原因」には、およそこんなことがありそうだ。

まず「物事の判断を誤る」原因では、①「バイアス(先入観)のかかった観察」すなわち自分に都合のいい見方や思い込みで判断を誤るケース、②「偽りの報告」すなわち他人による報告や伝聞を信じて判断を誤るケース、③「プラシーボ(偽薬)効果」すなわち信心や迷信でモノの見方や判断を誤るケース、④「ランダムな運」すなわち原因のない出来事に原因があると深読みして判断を誤るケース、などがある。

次いで「物事の処理にしくじる原因」では、①「特大の的」すなわち処理の狙いが間違っていてしくじるケース、②「隠れた助け」すなわち自力による処理をやらず他に助けを求めてしくじるケース、③「ランダムな運」すなわち最初からランダムな「まぐれ当たり」を狙ってしくじるケース、④「散弾銃効果」すなわちどれか当たるだろうと手数を増やしてしくじるケース、など。

上記の「物事の判断を誤る例」に2016年のアメリカ大統領選があり、トランプの当選を、CNNニュースのコメンテーターは「我が国のさまざまなものに対する“拒絶”だった」と分析した。調査機関はそこを読み取れず、調査手法に落ち度はないという「バイアスのかかった観察」で予測を誤った。そして選挙前の支持率をクリントンが4%優勢と読んだが、本書の著者の分析では0.4%の僅差だった。トランプ支持者には調査機関の調査まで“拒絶”した者がいたということだ。

また「物事の処理にしくじる例」では、理由のない「ランダムな運」すなわち「まぐれ当たり」を狙ってしくじる例として「宝くじ」を挙げる。ジャックポッド(高額配当、大当たり)を得るために人々はいろいろな工夫やまじないなどをやるが、当たる確率は低い。アメリカの「パワーボール」という宝くじを1枚買った場合の、当たる確率は2億9200万分の1だという。それなのに宝くじ研究は盛んである。

とはいえ、著者自身も運と偶然の効用を否定しない。自分がひとかどの?学者になれたのは自分の努力や能力だけではないと言い、自らの出自に始まり、大事な人や研究テーマとの出会いなど、これまでの運に恵まれた半生を披歴し、人間味あふれる視線で世間を観察している。我々も著者にならって自分の来し方を振り返り、多少なりとも感謝すべき「運と偶然」の事実を再確認できれば、もう少し幸せを感じられるのではないだろうか。(2021・6・15 山崎義雄)

ババン時評 文政権の迷走と決別した判決

今回6月の、元徴用工らによる損害賠償請求を却下したソウル中央地裁判決は、ようやく文政権の迷走から決別した判決だ。つまり文大統領がシナリオを書いたといわれる2018年の韓国大法院(最高裁)による賠償命令判決を真っ向から否定する判決となった。

特に、今回の判決で注目されるのは、判決の理由の中で、「漢江の奇跡」と呼ばれる1960年代以降の息の長い韓国経済の高度成長を挙げたことである。判決文にこんな事例が出てくることはまずないと思うが、これは徴用工側、弁護団の作戦ミスによるものではないか。

つまり、元徴用工の請求権が解決されなかった理由の1つとして、日韓協定に基づく日本の経済協力が少なかったからというおかしな理屈を徴用工側が訴状においてこねたらしい。そこで裁判所側は、日本の5億ドル支援が「漢江の奇跡」を生んだと、心ならずも?日本の肩を持つ結果となった。

ついでに言えば、韓国は朝鮮戦争で国力が疲弊し、北朝鮮にも劣る世界の貧困国となった。その韓国が息を吹き返したのは、ベトナム戦争の特需と1965年の日韓基本条約を契機とした円借款によってである。ベトナム戦争では韓国軍の参戦と民間特需で10億ドルほど外貨を獲得した。

韓国軍のベトナム参戦は米国の要請ではなく時の朴正熙大統領から米国への依頼によるものだったと今では言われている。徴用工に学んだわけではなかろうが、国を挙げての出稼ぎである。慰安婦も大勢ベトナムに行った。とはいえベトナムでの外貨獲得は韓国国民が稼いだものだ。

一方の、1965年の日韓協定に基づいて日本が供与した5億ドルは、朴政権がまるまる経済復興に投入できる財源となり、日本の技術援助とあいまって60年代以降およそ25年にわたって韓国経済の高度成長を支援した。これについては、2017年の時点でも、当時の朴正熙政府で首相だった金鍾泌氏は、韓国の経済再建は、日本の請求権資金に頼るしかなかったと述懐している。

何かにつけて「日本の原罪」的に歴史問題を振りかざす韓国だが、世界の常識である「漢江の奇跡」、日本の経済支援は日韓の歴史問題ではないらしい。今回の判決を出した判事が国民の脅迫めいた非難を浴びているという。しかし今回の徴用工判決は、「完全かつ最終的」に請求権問題を解決した日韓両国の合意という原点に立脚した判決であり、文大統領の迷走と決別した勇気ある判決だと言えよう。(2021・6・12 山崎義雄)

ババン時評 夫婦の愛情は以心伝心

これは愛情表現の欠如でもめる友人夫婦の話である。アイラブユーは挨拶代わり、体いっぱいで愛情を表現する欧米と違い、日本人、とりわけ高齢者にはこの手の表現力がない。男と違って女は、いくら歳をとっても、相手の愛情を確かめたい。愛されていたい。安心して夫に寄り添っていたいという、愛情願望、一体願望が強いのだろう。特に友人の細君の場合は、チャーミングな人柄だから、夫に「かまってもらいたい」という甘えもあるに違いない。

しかし、友人である夫の方は、酒とカラオケが大好きな一方、理屈屋で頑固で、サラリーマン時代も「歯の浮くような世辞は死んでも言わない」主義で生きてきた男である。だから彼に言わせれば、若い時ならまだしも、後期高齢者になって「好き」だの「愛してる」だの、それに類した恥ずべき言葉を口になどできようか、「夫婦の愛情は以心伝心だ」と言うことになる。

だから彼は、細君に「私を愛しているの」と聞かれる度に、「バカなことを聞くな。自分が愛されているかいないか自分で考えろ。相手の愛情を信じられるかどうかは相手に聞くことではない」とニベもなく甘えた要求を拒否するのだという。そんな争いで2人が数日口を利かなくなることがよくあるという。これは仲のいい証拠だとも思えるが、細君はそうは思わないらしい。

一度は、そんな口論がオーバーヒートして、細君が過去の不平不満まで持ち出して「もう一緒に暮らしていけない」と言い出し、本気の別れ話になった。彼は、「分かった。オレは墓まで一緒と信じて生きてきた。離婚は人生終盤の大しくじりになるが、お前がそう決心したのなら、それでいい。オレがこの家を出ていく」と応じたという。

数時間後、パソコンをにらんで、適当な賃貸マンションを探し続けていた彼に、細君が「一緒にいたい」と、か細い声で告げたという。それで彼も怒りをしずめ、その場はなんとか収まった。別れ話は収まったが、その日からしばらくは、調べ物でネットを検索するたびに、あちこち探索した賃貸マンションの広告がわんさと張り付いてきてまいったという。

私は、「高齢の夫婦には多かれ少なかれ似たような悩みがあるよなー」と同情し、「だけど少しは相手を労わる表現を工夫しなくちゃー」と忠告した。それに答えて彼は、食事の後かたずけ、ご飯炊き、掃除などの手伝いをよくやっている、いつも料理の腕をほめているよと言う。そして、口には出さないが、あちこちが痛いという妻の躰をマッサージしながら、この年老いた妻の躰が死を迎えて自分の手の中から消えてしまったらどれだけ寂しいかといつも思うと言う。

「家事手伝いは当たり前だよ」と応じた私だが、妻の躰の喪失感を思う話には「ウン、分かるよ」と素直に応じるしかなかった。それにしても愛情表現に不器用な古い人間には、以心伝心も夫唱婦随も遠い昔で、住みにくい世の中になったものである。(2021・6・8 山崎義雄)

ババン時評 どんぐり国家の背比べ

何年か前に、「〇〇の品格」という題名の「品格本」がブームになったことがある。そのはしりは浮ついた品格本とは一味も二味も違う、藤原正彦著『国家の品格』(新潮社)だ。同書の主張は、「グローバル化」という低俗な世界の均質化を拒否して日本の矜持を示せというところにある。そのポイントは2つ、豊かな「情緒」と毅然とした「形」だ。

ぜひそんな日本を世界に、とりわけ近隣諸国に示したいものだが、どうも近ごろの日本はどこかおかしい。『国家の品格』が期待する国のリーダーたちからして、おかしくなっている。近年、贈収賄で逮捕される政治家が後を絶たず、目下のところでは、元経済産業大臣菅原一秀氏が、有権者に香典や現金を配った疑いで東京地検の捜査を受けたことで議員辞職に追い込まれた。

政治家が政治家ならお役人もお役人で、総務省の幹部が、放送事業会社の東北新社やNTTなどの接待を受けたことで、結局、32人が述べ78件の接待を受けていたことが判明した。特に重い処分を受けた幹部らは、「東北新社の法規違反を認識していた可能性が高いにもかかわらず」、ご馳走になって口を拭っていたらしい。―と検証委員会は指摘している。

足元でこんな情けない政官界の不祥事が起きている時に、自民党二階俊博幹事長が、ご丁寧にも菅原議員の辞職に絡めて、(昔はひどかったが)「政治とカネの問題は随分きれいになってきた」などと発言するものだから、世論の総スカンを食らった。

一方、海外に目を転じれば、韓国のレイムダック化する文在虎政権の下で、開発予定の土地を投機買いした公務員ら34人が逮捕された。なんと疑惑を受けて書類送検された者は529人に上るという。既視感のある韓国らしい不祥事だが、いま文政権の支持基盤を揺るがしている。

次いで中国では、狡猾なワクチン外交が展開され、モンゴル自治区でのジェノサイド(大量虐殺)疑惑が報じられている。そんな折りに、習近平国家主席が、党高官の集団学習会で、対外宣伝に触れ、対外発信では謙虚であることを求め、「信頼され、愛され、慕われる中国のイメージ」の形成に努力するよう命じたという。「戦狼(せんろう)外交」と呼ばれる攻撃的な発信が定番の中国の対外宣伝が、いきなり急カーブを切るというのか。しかも中国公船の尖閣侵入で記録を伸ばしながら―。

国家の品格」では、日本にも江戸から明治までは豊かな教養を身につけたエリートがいた。英仏には今でもいる。彼らは女性スキャンダルを起こしはしても、国民に奉仕する気概を持っているから賄賂や汚職はまずやらなかったという。そして日本は情緒と形を取り戻せと警告する。願わくは、日中韓隣組国家の間で「どんぐりの背比べ」だけはしたくないものだ。(2021・6・6 山崎義雄)

ババン時評 気にし過ぎるな運の良し悪し

コロナによる「閉塞感」は心身の健康上、実によくない。考え方がどうしても暗くなりがちだ。これでは「運」にも見放されかねない。人はよく運がいいとか悪いとか言う。どんな人格者でもまったく運の良し悪しを気にしない人はいない。宝くじを買ったりレースに賭けたり、いわゆる賭け事を一切やったことがないという人はまずいないだろう。しかしこの「運」というのは実に得体が知れない。

数十年前のコントで忘れられないのは、ネクラの相方に、物事は明るく考えろと言って、「青い空」「青い海」と言うと、ネクラが「泳ぐ」「溺れる」「死ぬ」と応える話があった。まことに物は考えようだ。その手で行くと、悪い運にからめとられないためには、他人の目を(あまり)気にしない、心配事を(あまり)考えない、自分の先行きに(あまり)不安をもたない、運のいい人を(あまり)ねたまない、運の悪そうな人とは(あまり)付き合わない、など、あまり物事に拘泥しない方がよさそうだ。

いま売れている一書に、ジェフリー・S・ローゼンタール著、『それはあくまで偶然です』(邦訳、早川書房)がある。行きつけの大型書店で見つけたのも「それはあくまで偶然です」が、くだけた書名に似つかわしくなく約460頁、2300円のけっこう立派な“体躯”で、「統計学」専門の棚に鎮座していた。

高名な統計学者であり、確率とサイエンスを信奉するクールな(はずの)著者が、世の中の出来事のほとんどが偶然による所産だというのである。たとえば「あなたが7回、雷に打たれても」それは偶然。「名選手の56試合連続安打」も偶然。「生き別れの父娘の生き方がそっくり」だったとしても、それは偶然、それもこれもランダムに発生するただの偶然だというのである。

本書は、そういう実例をざっと130例ほど挙げて、いずれの結果も偶然によって生起したことを論証するのである。そして「偶然」の立証には、統計学的な考察も使われるものの、むしろ統計学は“脇役”で、偶然がもたらす出来事の原因は、ほとんど統計学の嫌う「運と迷信」であると言う。つまり出来事は「運」や「まぐれ」によって発生し、そのもっともらしい原因として語られるのは「不吉な数」や「星占い」など迷信の類であることが多いというのだ。

ひるがえって凡俗の我が身を考えれば、著者ほどのスケールはないが、後期高齢者となるまで、それなりの運不運に揺さぶられてきた。その間、運の良し悪しを気にし過ぎるとかえって運に見放されるような気さえするようになった。そして思うのは、ものは考えよう、物事はあまり突き詰めず、ほどほどにしておけばいいのだと思えるようになった。(2021・6・1 山崎義雄)