ババン時評 お上のご意向で「教科書」訂正?

教科書出版社は、お上の意向に逆らえない。政府は今年4月に、従軍慰安婦という表現は「誤解を招く恐れがある」と閣議決定した。また朝鮮からの移入労働者についても「強制連行とひとくくりに表現するのは適切ではない」とした。寝耳の水の教科書会社は大慌てである。

さっそく山川出版社実教出版清水書院、東京書籍、帝国書院の5社が、お上の示す日程で、中学と高校の社会や歴史関連の教科書29点を見直し、従軍の2文字を削除して「慰安婦」にするなどの内容修正を「訂正申請]して文科省に提出し、9月に「承認」された。

この閣議決定は、野党議員の国会質問への答弁のために行なったもので、従軍の2文字を取って「慰安婦」とすることが望ましいとする一方で、1993年の河野洋平官房長官の「いわゆる従軍慰安婦」という表現も「継承」するというややこしいもの。

この閣議決定を受けて文科省は6月、教科書会社約20社を対象にオンライン説明会を開いた。こんな説明会は異例だという。文科省は「国会の議論をお知らせするだけで、教科書訂正は発行者の判断」だとしたが、検定教科書を持つ5社は「改定せよ」と受け取って対処した。

規則では「検定済み教科書の訂正は文科相の承認を受けて発行者が行う」が、この説明会では「主なスケジュール」表も示され、「訂正申請」は「6月末まで」とされた。応じなければ文科相の「訂正勧告」まで示唆されては、手間とカネのかかる訂正も逃げようがない。

文科省のお気に召さないことで知られる「新しい歴史教科書をつくる会」の中学社会(歴史)教科書は、曲がりなりにも過去5回連続で合格してきたが、2019年度の教科書検定では、修正機会も与えられない「一発不合格」ありの新制度の導入によって不合格となった。

つくる会」の教科書は「欠陥箇所が著しく多い」とされ、内容の7割強が生徒にとって「理解しがたい、誤解する恐れがある」というもの。積み上げられた?「欠陥箇所」は405か所、合格した他社で最も訂正箇所の多かったのがM社の144か所、次いでY社の52か所である。

不可解な教科書検定の内容は、「つくる会」の副会長・藤岡信勝著「教科書抹殺」(飛鳥新社)に詳しい。同書は、「つくる会」教科書は「こうして狙い撃ちされた」と訴える。容易ならざる内容には改めて触れたい。お上の言いなりに修正する教科書であっていいはずはない。(2021・9・22 山崎義雄)

ババン時評 対岸の火事?韓国大統領選

ドイツ・ベルリン市の公有地に、韓国の元慰安婦を象徴する少女像が設置されている。この少女像は、韓国系市民団体が世界に設置しているものの1つである。ベルリン市は、1年の設置期間を設けてこの少女像の設置を許可していた。その設置許可期限が今月末で切れる。ところがベルリン市は、さらに1年間、この少女像の設置期間を延長するという。

このベルリンの少女像設置については、1年前にも「ババン時評 哀れ“清浄無垢”な少女像」と皮肉って書いた。これほど熱心に?日本を貶める国際宣伝をする韓国の狙いは、そして文在虎大統領の狙いは、日本による韓国統治時代の「非人道的所業」を世界に喧伝し、日本を道義的に屈服・謝罪させ、韓国の賠償要求を呑ませることだろう。

日本の歴史を断罪する残り任期のわずかな文大統領に、いまさら何を期待しても始まらないが、文氏にはもう少し韓国の歴史も反省してもらいたかった。先にもウイキペディアなどを引用して書いたが、ベトナム戦争では韓国軍兵士にレイプされてベトナム女性が生んだ子供が3万人を超えるとか、韓国慰安婦の歴史、韓国軍による「慰安所」経営の事実がある。

また英米独仏その他の国による、第1次、第2次大戦時における軍慰安婦の歴史なども知られている。要するに、慰安婦問題で、他国を一方的に責められる“清廉潔白”な国は一国もないということだ。もちろんそれが日本の免罪符になるというわけでないが、韓国も、自国の“恥部”に目を向けるべきであり、“清浄無垢”の少女像を世界の耳目にさらす哀れさ“恥ずかしさ”を知るべきだろう。

文大統領は、先の「光復節」の演説で、慰安婦や徴用工問題の解決を諦めて、次期政権への問題先送りを決めたらしいと見られている。そして時期大統領選の顔ぶれを見ると、与党「共に民主党」所属の京畿道知事の李在明(イ・ジェミョン)氏と、最大野党「国民の力」の尹錫悦(ユン・ソクヨル)前検事総長の争いになると見られている。3番手に李在明氏と与党候補の座を争う李洛淵(イ・ナギョン)元首相が控えている。

李在明氏は、過去の飲酒運転や論文不正などに加えて、無罪にはなったが直近の公職選挙法違反があり、尹錫悦氏には、在職当時に不当な政治工作を主導した疑惑が発覚している。日本にとって凶と見られるのは当然ながら与党候補の李在明氏とそれに輪をかけた反日強硬派の李洛淵(イ・ナギョン)元首相の当選だ。日本とって韓国大統領選は対岸の火事ではない。しかし今は文政権に代わって、まともに話の通じる新政権の誕生を期待して待つしかないだろう。(2021・9・16 山崎義雄)

ババン時評 美術史に学ぶビジネス戦略

絵画・彫刻などの美術は、基本的に描きたいように描き、造りたいように造り、それを観たい者は観たいように観るもので、ありていに言えば美術は気まぐれの所産であり、そこにビジネス戦略があろうなどとは思ってもみなかったのだが、面白い本を読んだ。西岡文彦 著 新潮新書「ビジネス戦略から読む美術史」である。

まずは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は「パン屋の看板」だった!?とあり、イノベーションは美術史から学べ!という。ある時、絵画愛好家がフェルメールを尋ねたところ、手元に見せる作品はないがパン屋に1枚あると言うので見に行ったら、あの作品が店に掛けてあった。

時代は16世紀、オランダに始まって欧州全土に広がっていった宗教改革で、教会の絵画・彫刻などが偶像崇拝だとして排斥・破壊され、それまで教会や王室からの注文で宗教的・歴史的作品を制作していた古典絵画の巨匠たちは大きく収入の道を絶たれた。

そこから、画家たちはそれまでの受注制作から自主制作に切り替え、絵画作品を一般市場に向けて制作・販売するという「ビジネスモデル」の転換で、ピンチをチャンスに変えていった。作品も宗教的・歴史的絵画から風景や静物などを扱うようになり、「既製品」の絵画マーケットが拡大していった。

その時代、イタリアに侵攻したナポレオンが「最後の晩餐」を持ち帰りたいと思ったが諦めたのは、巨大な重量を持つ壁に描かれた「不動産」だったからだ。同時に「動産化」されて大量・広範に流通する高級消費財の「モナ・リザ」を残したダ・ヴィンチは稀有の天才である。

また印象派の絵画作品は当初ガラクタ同然だった。その価値を爆上げしたのは画商だったという。フランス革命後の市民社会においてさえゴミ扱いされ、新聞「フィガロ」に猿の落書きと酷評されていた。その前衛アートの印象派作品を金ピカの額縁と猫足調の朝廷風高級家具というミスマッチのコーディネーで売り出し、メディアの活用などマーケティングを駆使しマネ、ドガ、モネ、ルノワールといった印象派の画家の育ての親となったのが19世紀パリの画商ポール・デュラン・リゥエルであった。

そして本書は、今日のネット社会は、だれでも商品を「売る側」に、「事業者」になるチャンスがあるという。つまり現代のネット社会においては常にビジネス感覚を持つべきであり、美術も含めてあらゆる製品をぼんやり作ったり見たり使ったりしてはいけないということになる。ますます世知辛い世の中になってきたような気がしないでもない。(2021・8・12 山崎義雄)

ババン時評 問われる総理大臣の人間力

なんと、自民党総裁選について書いたばかりだった(9月1日「国の大計を語らぬ総裁選」)が、突発的?な「菅首相退陣表明」(9月4日)には驚かされた。直前まで下村博文政調会長に総裁選出馬を断念させ、ライバル岸田候補の目玉戦略・党人事刷新案を拝借して二階幹事長の交代を働きかけるなど(8月30日)、意欲的・強権的に動いていたのに、である。

また菅首相は、党役員人事と内閣改造を行って9月中旬に衆院解散に踏み切り、総裁選はその後にする意向だと毎日新聞に報じられた(8月31日)。しかし翌朝、菅首相衆院解散も総裁選先送りもしないと否定した。解散権という伝家の宝刀を抜きかけてやめたということなら、このあたりがケチの付きはじめか。

菅首相には東北人の朴訥・強直な一面と共に孤独な影が付きまとっていた。老獪な長老議員からは「注意」や「指導」を受けるだけで、心を許して「相談」できる相手、率直な「助言」を聞ける側近が菅氏にはいなかった。田舎の同級生がテレビで、菅のそばに菅がいたら、もう少しやれたかもしれない、と話していたのが印象に残る。

いきなりだが、ドイツの社会学者・経済学者のマックス・ウェーバーは、支配の形には「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」の3つの型があると言った。菅首相はその類型のどれにも多少は当てはまりそうだが、時として癇癪を起こして周囲を怖がらせることがあったというから、人気の低下と孤立無援の中で「カリスマ的支配」の色合いを強めていったように見える。

ついでに言えば?岸田氏は、国民の声をメモした手帳をひらひらさせながら、国民の意見を聞くことを強調しているが、それを強調し過ぎると無責任な政治や政治の低俗化を招く恐れもある。新人議員なら選挙民の声を聞くことが第一だが、総理総裁を目指すものは「国民の目線」より「己の目線」を提示すべきだろう。

先のマックス・ウェーバーは、政治家の資質として、「責任感」「情熱」「判断力」を挙げる。菅首相も政治家として当然持っていたはずのこの3つの資質を、残念ながら発揮しつくすことができずに退陣する。後を襲って河野太郎氏、高市早苗氏が立候補する。石破茂氏は未定。ウェーバーの教える政治家の人間的な資質が問われる。

結局は、政治家といえども、“政治力”の前に“人間力”が問われるのではないか。その政治家が生きてきた「人生」と「人柄」が基盤となって「責任感」「情熱」「判断力」が生まれることになる。そして選挙民はマスコミを通してしか政治家の人物を知るすべがない。マスコミの責任も問われるのではないか。(2021・9・8 山崎義雄)

ババン時評 非生命体化する人間?

断っておくが、この小論はパラリンピック賛歌であり、パラリンピック競技者が非生命体化するなどという話ではない。パラリンピックの競技内容は実に多彩で驚きに満ちている。そこにあるのは正に生命の躍動だ。パラリンピック視覚障害聴覚障害、身体障害、知的障害、精神障害などのハンディを持つ障碍者のスポーツだが、主体はあくまで競技者個々人であり、競技は個の人間の命の燃焼だ。

今回の東京パラリンピックにおける競技は、22競技539種目に及ぶという。先に行われた東京オリンピックの33競技339種目に比べれば、競技数が少ないのに種目数が多い。それだけ各競技における身体能力に応じたランク分けを行わないと公平・公正な戦いができない。

その上で、伴走者など多くのアシスタントの手も借りるし、義手・義足や車いすなど競技者の欠陥を補うためにますます高機能化していく補助具の世話にもなる。しかしどれほど多様で高度な機具に頼ろうが、主体はロボットや補助器具ではなく人格を持つ生命体としての人間だ。

そこで、非生命体化する人間の話だが、未来学者のレイ・カーツワイルは、2045年あたりに人工知能(AI)のもたらすシンギュラリティー(技術的特異点)を迎え、医療の進化が平均寿命を超越して人間は死ななくなると予測する。本人は大真面目なのだろうが、その日まで生き延びようとビタミンを大量に飲むとか、シンギュラリティ以前に死を迎えた時のために脳の預け先を予約するなど、涙ぐましい努力をしている。

そして彼は、死ぬことのない「非生物的人間」の創造についても語っている。その実現には2つの方法があり、1つは、人間の体に微細ロボットを埋め込んで人間を機械化する方法と、いま1つは逆に、知能ロボットに人間の精神能力を埋め込む方法だ。こうして作られた非生物的人間は永遠に生きることになる。

このカーツワイルの非生物的人間創造論について、故山崎正和さんは著書「哲学漫想」(中央公論新社)で、非生物的人間は個人として永遠に生きるわけで、世代交代もなくなり歴史は凍結状態に入ると言い、人類の歴史は個人の死と世代交代で発展してきたと言う。

いかに遺伝子組み換えや人体の“部品交換”など医療テクノロジーが進んでも、「非生物的人間」に生きる喜びはない。たとえ身体に障害があろうとも、たとえハイ・テクノロジーの機械・機具に補助されようとも、根本は個々の人間の生命の躍動であり、個の人間の命の燃焼だ。AI時代がどこまで進化しようとも、生身の人間、限りある命の燃焼が万人の生き方の根本原理だろう。(2021・9・5 山崎義雄)

 

ババン時評 国の大計語らぬ奇策総裁選

岸田文雄政調会長は、自民党役員人事について、「1期1年、連続3期まで」にする党人事の刷新案を提言した。党内の不満の声が出たことについては、「疑問の声は理解できない」として、「新陳代謝のできる政党、権力の集中惰性を防ぐ党改革が必要だ」と強調した。安倍前首相の“禅譲”を期待して待ってきた人柄と待ちの岸田氏とはイメージ一新の大胆な提言である。

役員任期の厳しい見直しは、当然ながら就任から5年立つ二階俊博幹事長の処遇問題に突き当たる。二階派から反発が起きるのは当然だ。岸田氏が二階氏とどんな折り合いをつける作戦なのか気にかかる。と、この一文を書いていた8月末、事態は急変した。

どうやら岸田氏は人事改革案の発表のタイミングを誤ったようだ。菅首相が二階氏交代について検討を始めた。狙いは党役員刷新だと言いながら、菅首相は30日に下村博文政調会長に総裁選出馬を断念させ、続いて二階氏とも会談した。具体的なやり取りは分からないが、二階氏は、菅首相の要請があれば幹事長交替を容認する意向を示したと伝えられる。

これではまるで岸田氏の戦術のパクリではないか。二階派の恨みを買う恐れを乗り切って、怖いネコの首に鈴をつけようとした岸田氏の苦労を横取りして美味しいところだけいただくというのは、実直・剛直な菅氏のやり口とは思えない。逆に岸田氏の人の好さがまた露呈した。

また岸田氏は、「国民の意見を聞く」姿勢を強調する。あるテレビ番組では、国民の声を書き込んだ手帳を繰りながら、2つほど具体的な巷の声を紹介した。直近ではオンラインで、さいたま市の中小企業経営者らと意見交換をした。岸田氏の念頭には地方に強い石破茂元幹事長がいる。

やはり焦点は石破氏の去就だろう。ひところは「今は自民党が一つになる時だ」などとして、菅政権の支持と自身の不出馬を匂わせていたようにも見えた石破氏だが、直近は、出馬への態度は「全くの白紙」だとしている。世論調査では一番人気の石破氏が立たないはずはない。たとえ負けても立てば次につながるとする見方が強い。

ともあれ清廉なイメージの岸田氏が強気に変身し、実直なイメージの菅氏が業師に変身してライバル岸田氏に一撃を加えた。その上9月半の衆院解散も考えているともいわれ、にわかに事態は混沌としてきた。ここはぜひ強直の石破元幹事長が参加して、まともな政策論争を行うべきだ。国の大計を語ることのない足の引っ張り合いや寝技の応酬でコップの中の総裁選をやっているようでは、自民党のみならず政治への信頼回復はおぼつかないだろう。(2021・9・1 山崎義雄)(注 これは菅首相退陣表明前の小論である)

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ババン時評 ネット依存の夫 極論ばかり

この題名は、読売「人生案内」(8・24)の「ネット依存の夫 極論ばかり」(栃木・D子)から拝借したもの。相談者は50代のパート女性。同年代の夫がネット依存になり、コロナで在宅勤務になったが極論ばかり言うので困っているという。単身赴任中の夫が、一人でネットを見る時間が増えた結果、国際情勢や政治について批判的な極論を鵜呑みにするようになったらしい。

家族と過ごす時間なのに特定の国々の批判ばかりで、産品や製品にまで文句をつける。国際情勢や政治に興味を持つことは大事だと思うが、夫の意見はあまりにも偏っていて私(相談者)も嫌な気持ちになり、子どもたちも父親を避けるようになった。どうしたら優しい夫を取り戻せるか、心療内科を受診するのはどうでしょうかという相談だ。

回答者は山田昌弘さん(大学教授)。まずは『極論というか「差別意識」が強い人がそばにいるのは嫌ですね』と優しく語りかける。そして、相談者の夫は価値観の相違で片付けられないレベルではないか。極論を信じている人を論理的に説得することは難しい。極端な思想の裏には自分が社会の中で認めてもらえないという感覚がある。今はネットで仲間を作りやすく意見の違う人を「間違っている」と主張することで自分のプライドを保つ人が多いと指摘。

その上で回答者は相談者に解決策を示すのだが、まずは「自己肯定感の低い人と一緒に生活するのは、それだけで消耗します」と言い、「遠ざかって関係を絶てばいいのですが、家族だとそうはいかないですね」と同情を寄せる。そして、家族に対して実害がなく、犯罪につながりそうな書き込みなどをしていないなら、しばらく放置するのが良いだろう、と助言する。

さらに、御夫君と論争をせず受け流す。そのうち仕事などで肯定感を取り戻せれば、治まってくると思う。サポートするとしたら、思想以外のところを褒めることが有効かもしれない。心療内科などを勧めるのは逆効果。やめた方がいい、と締める。この回答は、言ってみればしばらく我慢してみなさいというアドバイスである。そのあたりが回答の限界だろう。

 インターネットの弊害はいろいろと指摘されるが、最たるものは、社会的には偽情報の流布であり、無記名による誹謗中傷の流布だろう。攻撃的な極論も多い。家庭的には本人の健康問題や家族関係の悪化だろう。注意したり止めさせようとして暴言・暴力を誘発することもある。

 この人生相談のネット依存氏は家庭内での内弁慶的論者だが、社会的にも街角インタビューなどで国際情勢や政治問題でも堂々と意見を披歴する人が増えてきた。そして、ネット時代の恐ろしさは、思索と反芻(繰り返し考える反芻)の伴わない短い言葉による断言・極論の危険性について、多くの人々が考えなくなっていることではないか。(2021・8・27 山崎義雄)