ババン時評 「新潮45 休刊」と「貴乃花引退」と「表現の自由」

 

雑誌「新潮45」は、杉田水脈衆院議員の、性的少数者は「生産性がない」とする論文を載せたことが発端で休刊に追い込まれた。相撲界では、貴乃花親方が「相撲協会から有形無形の圧力があった」として引退を表明した。どちらにも異常な“世論の過熱”が見られる。

新潮45の休刊に関して、編集の立場や杉田発言を援護する声は聞かれない。「言論の自由」を掲げるべきマスコミに、そういう視点で論じる気配もない。杉田発言は「言論の自由」の「らち外」だということだろう。

これに関して、内田樹神戸女学院大名誉教授は、ブログ上で、「言論の自由」には「言論の自由の場を踏みにじる自由」と「呪詛する自由」は含まれないと私は思う、と言っている。思想的な立場で何かと物議をかもす内田教授だが、この言は頷ける。要するに乱暴な言説や呪詛するような言説は「言論の自由」のらち外だということである。

逆に、貴乃花の引退に関しては、相撲界に通じた“専門家”や記者諸君は、相撲協会におもねたり“忖度”して、事の真相に迫る“口ぶり”や筆致が冴えない。世論のほうは判官ひいきで「貴乃花かわいそう」とする意見を中心に沸いている。

ともあれ、新潮45でも貴乃花引退でも、ネット社会におけるこの手の“世論の過熱は、なかなか“常識的”な意見の集約に結び付かない。普遍的な姿勢を期待されるマスコミも、とりわけテレビはその過熱した世論に左右されて腰が定まらない。

ネットを中心とした匿名社会における「世論の過熱」は、「言論の自由」という捉えどころのない“柔軟な理念”を、踏みにじる恐れがある。

2年ほど前の小文だが、山崎義雄のHP「ばばんG」に「政治家の人間力とマスコミの責任」があります。ご覧ください。(2018.9)