ババン時評 ネット社会と言論の自由

 

ネット社会の広がるなかで、硬派の活字媒体の低迷が続く。なかでも論壇誌は、書き手はもちろん読み手にもそれなりのアタマ力が要求されるだけに敬遠され、読者離れが止まらない。そうした論壇誌の一つが、また消えることになった。雑誌「新潮45」の休刊だ。

今回の「新潮45問題」に限らず、リベラルに比べて右翼の発言がしにくい世の中になってきたという印象はぬぐえない。第4次安倍内閣の柴山文科大臣は、最初の就任挨拶で教育勅語に触れるとたちまちバッシングを受けた。発言内容の是非はさておき、わずかの失言?も許さない不寛容な時代になった。「新潮45事件」でも、「言論の自由」とは何だろうという素朴な疑問が生じてくる。

休刊・廃刊するなら、世論に“死刑”を宣告されたのではなく、“論壇誌”の衰退という今日的な状況の中で、発行部数減に抗しがたく、経営上の判断によって“自然死”することを決断したというべきだろう。新潮45の休刊・廃刊は残念だが、それが過去のくつかの先行論壇誌廃刊の理由だった。

ともあれ、昨今の、フェイクニュースが飛び交うルール無視の世の中で、極右も極左も含めて、その言論を封じる動きが強まることに危機感を持つべきであろう。右も左もあって言論の幅が広いことが民主主義の基盤ではないか。(2018・10)

これに関しては山崎義雄のHP「ババンG」に小論「ネット時代と言論の自由」があります。ご高覧を!