ババン時評 下手な絵を描きたい

シュレッダーで裁断されてニュースになったあの絵は、うまい絵なのだろうか。大人の絵を下手だとけなす人は多いが、子供の絵を下手だとけなす人はまずいない。子供のころいい絵、楽しい絵を描いていた人が大人になって描けなくなるのはどうしてだろう。私はいま、いい歳になってまだ少しでもマシな絵、上手い絵を描きたいともがいている。

 

仙人とか超俗の画家などと呼ばれた熊谷守一は、自伝『へたも絵のうち』で、「絵なんてものは、やっているときはけっこうむずかしいが、でき上がったものは大概アホらしい。どんな価値があるのかと思います。しかし人は、その価値を信じようとする。あんなものを信じなければならぬとは、人間はかわいそうなものです」というようなことを言っているそうだ。

 

この言葉、熊谷一流のトボけた味わいを笑っておしまいにすればいいのかもしれない。たぶんそれでいいのだろう。しかし私はこだわってしまう。この言葉には熊谷の自分の絵に対する謙遜の意味合いもあるのかもしれない。しかし、それは熊谷らしくない。こだわって考え込むと、熊谷の真意をつかむのは容易ではない。

 

絵とは何か。たとえばスーパーリアリズムなどといわれる迫真の絵は、迫真ゆえに誰が描いた絵も似かよってしまう。結局は個性のある“へたな絵”こそ絵画の真骨頂だとも言えよう。となると少しでも“上手い絵”を描こうとあがいている私としては、大いに反省し、悔い改めなければならないことになるのだが、さて、どうすればそういう“下手な絵”を描けるのか、悩みは尽きない。(2018/10・20 山崎義雄)