ババン時評 中国の呆れたバス事件

中国で、バスの乗客の高齢女性が、途中で降りたいからバスを止めろと喚いて運転手に絡んだことから運転を過ってバスが崖下に転落し、多数の死者を出すという悲惨な事故が起きた。続いて起きた別の事件では、中年男性がバス車内での喫煙を注意されたことで運転手をなぐるという事件が起きた。日本ではおよそ考えられない事件だ。

バスの話ではないが、「おどろきの中国」(橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司 著 講談社新書)にこんな話がある。この本は、安直な“嫌中本”ではなく、中身は中国の歴史を踏まえて日中関係を考える硬派の学者談義なのだが、この中でも中国で普通に見られる事例として、車の往来の激しい大通りを平気で横切る中国人の“習性”を紹介している。

そして、以前、エッセイにも使わせてもらったバスの中の話が、「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」という本にある。この本は、日中間の親近感を高めるための、中国の学生たちによる「日本語作文コンクール受賞作品集」である(2013年、日本信報刊)。61編が収まっているが、なんとそのなかの17編が中国人自身の「大声」について書いている。どうやら「日本」を体験した中国の若者たち、気の付く若者たちは、日本人に比べて自分たち中国人が常に大声で喋っているという事実に気づくらしい。

その中の1編で取り上げているのが、中国のバスの中の話で、バスが停車せずにバス停を行き過ぎたことから、乗客のおばあさんと運転手がバスを止めて大声で延々と罵り合うという事例である。そうしてこれは中国では当たり前の光景だというのである。この話を書いたのは若い女子学生だが、こんなことも書いている。すなわち、日本人は「私」をあまり強く主張しないが、中国人は「我」を強く主張すると言い、自己主張が強く、自分の利益や立場を主張し、それを相手に認めさせようと根気よく主張するなどと、民族的な特性を語っている。

これに関しては、「明治維新から見た日本の軌跡、中韓の悲劇」(加瀬英明、石平共著、ビジネス社)という本で、加瀬氏がこんな話をしている。『中国語では、かならず「私」がそう思う。「私」がそう考える、と言います。(中略)日本では「私」と言うと、押しつけがましくなるから、自己主張をできるだけ抑えて、「私」という言葉を、なるべく省くようにする。「私」を前面に押し出すと、卑しくなるからです』と言っている。近ごろ日本人の喋り方もやたらにうるさくなっている。自戒したいものだ。(2018・11・14 山崎義雄の「ババンG」に「やたらにうるさい喋り方」あり)