ババン時評 「人間のクズ」の正体

 

ある主婦に言わせると、野菜は、うまく利用すれば余すところなく料理できるという。しかし、使えない「野菜クズ」も出るのではないかと聞くと、たしかにそれはあると言い、その例として根菜類の「首」の部分を挙げる。大根の場合でいえば、菜っ葉の付け根の大根の首の部分はやはり切って捨てるしかないという。

「くず(「屑」」を辞書で引いてみたら、①切れはし。残り。かす。②用をなさないもの。役に立たないもの。であり、用例としては、紙くず。人間のくず。などがある、とのこと。しかし人間の場合は、①のような、切れはし、残り、かすはない。それもあるなどと言ったら人権問題、人道上の大問題になろう。だから、「人間のくず」という場合は、②の、用をなさないもの(者)か、役にたたないもの(者)を言うのであろう。

さらに、ネットで検索してみたら、多くの「人間のクズ」説明がある中で、「卑劣、残忍、薄情、無礼など、人としての道理や配慮を無視した言動や行動を平然とやってのける人間」という説明があった。たしかにこれは「人間のクズ」ではあるが、しかしこの手の人間は一般人のレベルや芸能界などにも“生息”する。これに比べて、公的な地位や社会的な地位のある政官財界のエライ人たちが、思わぬところで「人間のクズ」的本性を晒すことになる原因は別にある。

そういう人の、巧妙に隠してきた不正だけでなく、地位を利用して平然とやってきた不祥事が露呈する根幹には、異常な「出世欲」「名誉欲」「金銭欲」などの「強欲」が潜んでいることが多い。ただし昨今の例をみると、そうした「強欲」以外でもう一つ、高学歴だったりしながら思わぬところで無能ぶりがバレたりする気の毒な例もある。

こうなっては、大根の首のように切って取り除くしかない。ただし大根はエライ。首がなければ大根は育たない。首を切られてから大根はおいしい料理になる。(2018・12.1 同テーマの拡大版が山崎義雄の「ばばんG」にあり)