ババン時評 男女格差を乗り越えて

 

今年後半の話題に「男女格差」があった。大学入試の面接で、コミュニケーション能力が高い女子に比べて不利な男子受験生に採点上でゲタを履かせた、などと弁明した大学もあった。男女格差の国際比較で日本は149カ国中110位との調査も出た。

これは世界政治経済フォーラムによる調査で、特に政治分野における男女格差では、日本は125位と低い評価だ。欧米では優秀な女性国家元首もいるが日本ではまだいない。しかし女性の比率を上げればいいと単純に言うのもどうか。優秀な片山さつき地方創生担当大臣もチョンボをして減速、野田聖子総務大臣も総裁の座まではイマイチだ。

いきなり話が変わるのだが、私と同じ演歌大好き人間で知友のT氏が、ネットエッセイで、「股旅演歌」について蘊蓄を傾けている。その中でとりあげているのが、股旅演歌の名曲「鴛鴦(おしどり)道中」(作詞 藤田まさと、作曲 阿部武雄)の話である。

4番の歌詞 ♪「泣くも笑うも懐(ふところ)次第 資金(もとで)なくしたそのときは 遠慮要らずの女房じゃないか 丁(ちょう)と張りゃんせ 私(わし)が身を」についてT氏は、「妻が夫に尽くす究極の夫婦愛を謳い上げていて、初めて聴いたとき(子供のころ?)から大変感銘を受け、自分もぜひこのような女性を理想の妻にできたらと願って、結婚当初から何度となく聴かせたが、すこぶる評判が悪い」というのだ。思わず笑ってしまったが、この歌の精神は、もはや死語となった「男尊女卑」の代表格ではないか。

T氏の奥方が怒っても無視しても当たり前だが、戦前戦後はいうまでもなく、わずか2~30年前までは、「男尊女卑」という四文字熟語は、暗黙のうちに了解され、あるいは無視され、時には笑われながらも、少なくとも怒りをもってバッシングされずに活きていた。

その「男尊女卑」がいつの間にか“自然死”して、急速に「男女格差」が問題視され、その解消に向かって進んでいるのが現在だ。この先は、政治の世界でも、いたずらに女性の比率を増やせと叫ぶより、まずは政治を目指す女子自身が、選挙民を説得する確かな見識と主張と気概を持つべきではないか。ともあれ、今度の忘年会では懐かしの「鴛鴦道中」を唄ってみたくなった。(2018・12・20 山崎義雄)