ババン時評 「騙す統計」に騙されるな

 

いま、厚労省による「統計不正」が批判を浴びている。一般的に言って、統計や調査には「目的」があるが、往々にして正しい「目的」を装いながら、本音では、こんな調査結果を欲しい、などという「意図」をもって行われる調査や統計がある。むしろその方が多いとも言える。

隠された「意図」を持つ統計・調査は、巧妙な「設問」で回答を誘導する。その上さらに、調査結果に意図的な分析や解釈を加え、時には都合の悪い結果やデータは巧妙に隠して使わないことさえある。ビジネス上の調査・統計はほとんどそれだともいえる。

「統計は暴走する」(佐々木弾著 中央公論新社刊)は、「騙す統計」と「騙される国民」に警鐘を鳴らす。当てにならない統計の例として、英国のEU離脱前夜の国民投票ではEU残留予想が80%、米国大統領選では主要報道機関100社の予測がほぼ全てが民主党勝利を予測したのに結果は逆になった例を挙げる。

著者には悪いが、この例は、騙されたのは国民ではなく、マスコミや専門家のほうだと言うところが興味深い。ただし、その予測がはずれた原因が、積極的に声を上げない「サイレント・マジョリティ」を軽視したことにあるとする見方は頷ける。

日本の場合は、安倍総理の思惑通りに憲法改正問題が進展すれば、いずれ国民投票で判断を迫られることになる。新聞・マスコミの世論調査もあろう。勝手な予想だが、各機関の調査方法によって調査結果は少なからず違ってくるはずだ。

大新聞の例で考えれば、大ざっぱに言っても、「改憲反対」の朝日・毎日・東京新聞などと、「改憲賛成」の読売・産経・日経新聞などでは、おのずと調査の方法にも結果にも違いが出てくる。設問からして、「改憲反対」派のそれには、憲法の意義・理念重視の傾向が出るだろうし、「改憲賛成」派の設問には、日本を取り巻く「現実重視」の傾向が出るだろう。回答者としては、各新聞の主張に共鳴する者がその新聞の調査に協力し、積極的に回答することになる。結果として新聞社の主張が助長されることになろう。

今年の日本は、憲法問題だけでなく、政治・経済、社会問題など、多くの問題で国民意識が問われることになる。統計データにも、専門家の解説にもうっかり騙されない用心が必要だろう。(2119・1・18 山崎義雄の「ばばんG」に同テーマの拡大版あり)