ババン時評 “じゃんけん経済”の行方

 

数年前の話だが、ある懇親会で、ある町の教育委員長と同じテーブルで隣り合った。賞品当て抽選会になって、何かの賞品をじゃんけんで決めることになった。途端に、愉快に“メートル”を上げていたその教育長が、「じゃんけんは民主主義じゃない」と叫んだ。訳の分からない“異議申し立て”に周りが笑った。

私は「なんでじゃんけんは民主主義じゃないんですか」と聞いてみた。教育長の答えは「じゃんけんは、勝ちたい、負けたくないという気持ちで争うから」というものであった。まさに“なぞなぞ”である。私は「うーん、これは難しい。考えさせてもらいます」と笑っておしまいにした。

帰宅してから、面白半分で国語辞典を引いてみた。それによると、民主主義とは「人民が主権を持ち、自分たちのための政治を行う政治原理や政体」だとある。どうも、じゃんけんに結びつかない。念のため「民主的」も引いてみた。こちらでは、民主的とは「国民の主権を尊び、自由・平等になるように、お互いを尊重するさま」だという。なるほど、これでは「お互いを尊重」せずに、「勝ちたい、負けたくないという気持ちで争う」じゃんけんとは相容れないことになる。たしかに「民主的」ではない。したがって「民主主義」的でもないということになる。

いま、資本主義社会の行方が大きな問題になってきている。経済学250年の歴史では、モノづくり経済から始まり、貿易経済で伸び、サービス経済、マネー経済、電子空間経済へと“経済フロンティア”を目いっぱい拡大してきた。そして今、ビッグデータを駆使して瞬時の投資に賭けるじゃんけん勝負のような“じゃんけん経済”が展開される時代になった。世界が震撼したリーマンショックも、直接的には資本の手先となった、たった一人の辣腕トレーダーが、破たんを免れようと“掛け金”をどんどん大きくして大勝負に敗れたのが金融破綻のきっかけだといわれる。

こうして今、資本主義は「他者を尊重する民主主義」を捨て、これまで隠ぺいしてきた「勝ちたい、負けたくないと争う」資本主義の本性をむき出しにしつつある。一握りの富裕層が富を独占して“放出”せず、昔のように資本家からの“余慶”にあずかれなくなった中間層が“メルトダウン”して下層化し、貧しきものはますます貧しくなって、貧富の差は拡大するばかりである。

この先どうなる? “じゃんけん経済”の行方はだれも知らない。(2019・1・21 山崎義雄の「ババンG」に同テーマの拡大版あり)