ババン時評 小さな幸せ“チラシ”で買い物

 

本当の幸せとは何だろう。幸せ感(幸せ観)は人によって違うが、「先立つものはカネ」などとも言い、相当程度まで幸せもカネであがなえそうだ。以前、「人生はカネじゃないさと茶をすする」(朝日川柳)という一句を引用したことがある。元日産のゴーン氏を詠んだものだが、この一句は、負け惜しみだけではない歳の功による「達観」でもある。

先ごろ、ご高齢の知人が心臓発作で亡くなった。遺産は20億円ともいわれる。以前、この人に聞いた奥様のケガの話が忘れられない。その奥様は、毎日、新聞の折り込み広告、いわゆる“チラシ”を丹念に見て、日々の食材を買いに出かけるのだという。

聞かされた話は、その日はいつもより遠いスーパーまで自転車で出かけた奥様が、買い物かごを一杯にした帰りの坂道で転倒し、膝にケガを負ったという。で、「遠くまで出かけて大ケガをして本当に可哀想だ」と言うのである。いたく同情すべきところだが、大金持ちのお気の毒なケガへの返事に戸惑った覚えがある。

チラシの買い物でもうひとつ、高齢の友人夫婦がチラシをみてデパートに買い物に出かけた。奥さんは買い物を物色し、友人はエレベータ前の椅子で休んでいた。しばらくして奥さんが出てきて、「これ、どうかしら」と店舗スペースから持ち出した食器洗いに使うスポンジを友人に見せた。木の葉型の珍しいスポンジだった。彼が「オイオイ、持ち逃げと間違われるぞ」と言うと、奥さんは、店員に断ってきたという。

奥さんはまた店に戻ったが、今度はなかなか出てこないので、彼が店内に行く。買い物が終わって2人が店を出ようとした時、女店員がニコニコしながら寄ってきて、「よかったですね」と声をかけてきた。友人は、「食器洗いのスポンジを使うのはオレだと(店員に)見破られた」とボヤくのである。日常の小さな幸せではないか。

私の好きな句に「焚くほどは風が持ちくる落ち葉かな」という一句がある。今は戸外で焚火などできないが、それができた良き時代の句で、焚火をするほどの落ち葉、そして焼き芋を焼く程度の落ち葉は風が運んできてくれるという、実に悠々とした心境である。「人生はカネじゃないさ」と生きたいものである。(2019・2・23 山崎義雄)