ババン時評 100年前の朝鮮独立運動

 

日本統治下の朝鮮で独立運動が起きた1919年3月1日の「3・1独立運動」から今年で100年を迎える。その節目に、植民地支配からの解放を求め、「良心はわれらとともにある」と訴えた一枚の「独立宣言書」が長崎県の個人宅から見つかった(朝日2・26)。これは韓国にも8枚ほどしか現存しない貴重な資料だという。

当時、保持していれば憲兵につかまるという危険きわまりないこの資料を秘匿していたのは、現在、長崎在住の佐藤さんの祖父。その祖父は100前の平壌で陶器商を営んでいた。朝鮮語を話し、朝鮮語で読み書きもでき、朝鮮の人々を差別することのなかった人だという。いざこざの堪えない現下の日韓関係を思えば、日本統治下の朝鮮に、こんな日本人がいたことが誇らしい。この話、いまの韓国の人たちにもぜひ知ってほしいものだ。

さて文在寅韓国大統領は、3月1日に行った「三・一独立運動」の100周年記念式典での演説では、昨年の厳しい対日批判から一転、現在の日本を直接批判せず協力強化の方針を明言した。悪化が続く日韓関係を考慮し、対日刺激を避けたとみられる(産経3/1)。すなわち、慰安婦や徴用工の問題も、独島(日本の竹島)の名も口にせず、「被害者(元慰安婦や元徴用工)らの苦痛を癒やしたとき、韓日は真の友人になる」と日本に協力を暗に求め、「朝鮮半島の平和のために日本との協力を強化する」と宣言したという。

先ごろ、韓国国会議長の文喜相(ムン・ヒサン)とかいうご仁が、元慰安婦への呆れた天皇謝罪要求で日本人の神経を逆なでしておいて「韓日両国間で不必要な論争を望んでもおらず、起きてもいけない」と言った。そのお説をかりれば、不必要な論争を繰り返してはいけないのだが、そもそも「三・一独立運動」の源流は、日本からの独立ではなく、清(大清帝国と自称)の冊封(さくほう)体制からの脱却を目指した運動だ。後に日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約で清に李氏朝鮮の独立を認めさせたことで、李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家となった。ソウルの「独立門」は大清帝国からの独立を祝して後年、建立されたものだという。

要するに勘違いや逆恨みをしないで、未来志向の日韓関係を築く努力をすべきだ。冗談に、約束は破るためにあるというが、それを地でいくように日本との合意や約束事を破り続けるのでは、近ごろの日本のように韓国を相手にしなくなったり無視したりするようになる。解決のカギは韓国側にある。(2019・3・1 山崎義雄)