ババン時評 「脳の性差」と「単純平等論」

 

いま「妻のトリセツ」という本が売れている(黒川伊保子著、講談社+α新書)。同じ筆者の「定年夫婦のトリセツ」も書店に並ぶ。妻のトリセツも定年夫婦のトリセツも遠の昔に卒業した後期高齢者としては、こうしたテーマに当面の興味はないのだが、若いころから男と女は生物分類学的には、ヒト科オス属とヒト科メス属ぐらいの違いがあるのでは、と思っていた私としては、いまだに男と女の不可解な違いについては少なからず関心がある。

そんな折りに、たまたま朝日新聞(4・7)が「文化・文芸」欄でこの「妻のトリセツ」を取り上げた。夫が理解できない妻の行動は「脳の性差」で説明できるという本書を材料に、「脳科学本が求められるわけ」を探ろうという狙いである。それにしても、本書「トリセツ」への内容批判が手厳しい。まずは、本書の面白いところ、たとえば「女性脳は、半径3メートル以内を嘗め尽くすように“感じ”て―」とか、「突然10年前のことを蒸し返す」など「脳の性差」例をあげる。

これについて四本裕子東大准教授(脳科学・心理学)は「データの科学的根拠が極めて薄いうえ最新の研究成果を反映していない」と話す。さらに朝日は、経済協力開発機構OECD)の2007年報告書は「男女の脳ははっきり異なる」という主張などは科学的根拠が薄い「神経神話」だとしているとか、日本神経科学学会も神経神話が脳科学への信頼を失わせる危険があるとしているという。

かさねて、「なぜ疑似科学を信じるのか」の著者 信州大菊池聡教授をして、(トリセツは)「科学的知見の普及という意味では前向きに評価できる」という前置きながら、「わずかな知見を元に、身近な『あるある』を取り上げて一足飛びに結論づけるのは、拡大解釈が過ぎる。ライトな疑似科学に特有な論法だ」と語らせる。そして、「脳の研究は科学で最も“ブランド力”がある分野の一つ。新しい研究成果が出るたびに、疑似科学的な本が現れる」とする菊池教授の言葉を結びに代える。

お説ごもっともと言いたいところではあるが、「脳の性差」は証明できない(できていない)とはいえ、男女で「脳の性差」がないことも証明できていない。男と女の思考回路は明らかに違うと頑迷に思っているのは私だけではない。もし「脳の性差」があるとすれば、仕事の得手不得手も出てくるわけで、近ごろのような議員の数もあれもこれも男女同数にしろといった“単純平等論”も見直しが必要になるのではないか。(2019・4・8 山崎義雄)