ババン時評 戦争を知らない大人たち

、 

令和元年の5月1日、日本中がお祝いムードで賑わった。国民には、新しい時代への期待が大きい。しかし後期高齢者の1人としては、お祝いムードに浸りきれないところがある。私の敬愛する二人の先輩は、昭和の初めに生を受け、戦時下に少年期を過ごし、昭和・平成時代を生き抜いて、令和時代を目前に相次いでこの世を去った。

お一人は享年90歳。病院長を引退して、地域医師会の名誉職のみで悠々自適の生活にあった。高校の大先輩で、著書のエッセイ集シリーズでも何回か私の話をネタに書いていただいた。10年ほど前の、病院長勇退の折りには、見事な繁栄ぶりの一家眷族だけの盛大な宴席に、部外者の私が他の知人と2人だけ呼んでいただいた。

その大先輩が令和直前の3月末に亡くなった。「兄はいつも『山崎さんは元気か』と聞いていたので」と、7人兄弟の中でとりわけかわいがっていた弟さんが兄の死の第一報をくれた。通夜の席で遺影に対面しながら大きな“喪失感”に襲われた。

もうひと方は、高校時代の恩師で、享年87歳。まだ戦後の傷跡も残る昭和20年代後半の教壇に立ち、以来教員ひとすじに歩み、県立高校校長職で引退後は、県内俳句界の重鎮として活躍した。私は、先生の最初の教え子だが、81歳になる今日まで幸いにも師弟の縁が切れることなく続き、少しばかり型破りの私の来し方・生きざまを60年以上にわたり見守っていただいた。

恩師の葬儀は正に令和前夜、平成31年4月30日だった。故人の意向で“教え子代表”の弔辞を盛岡の古刹の葬儀場で読ませていただいた。亡くなる直前のお手紙に、「平成の終わりの年にちなんで」と題する近詠31句を残してくれた。中に「夏草やひときわ高き伍長墓」の一句があった。

お二人とも戦時下の記憶を背負い、戦後の混乱を乗り越えた。恩師は徹底して護憲派の戦争反対論で、「戦争反対 軍備賛成」の私とは意見を異にした。ともあれ、こうして戦争を知る世代が逝き、令和は、戦争を知らない子供たちならぬ大人たちの世代になる。

先代天皇は、戦争のなかった平成時代の幸せを回顧された。しかし、平成時代は戦争関連法や自衛隊の海外派遣などで、着々と戦争準備をすすめた時代だった(朝日新聞4・27 真山仁の視線 戦争の準備 着々と進めてきた30年)という見方もある。令和時代が令和の英訳?「ビューティフル  ハーモニー」で行けるかどうかは予断を許さない。(2019・5・1 山崎義雄)