ババン時評 国民に分かる憲法9条に

 

大ざっぱに言って、国民の7~8割は憲法改正問題に関心をもっているとみられるが、国民の多くが、9条をはじめ焦点となっている改憲ポイントについて自分なりの理解と意見をもっているかとなると、はなはだ心もとないのではないか。安倍首相は意気込むが、来年20年の憲法改正を目指して国会決議を急ぎ、国民投票にもっていこうと急ぐのは乱暴すぎるのではないか。

安倍首相は、令和元年初の憲法記念日、5月3日に都内で開かれた憲法改正を訴える集会に、「真正面から議論を行うべき時に来ている。20年の憲法改正の方針に変わりはない」とビデオ メッセージを送ったというが、どうみてもムリ筋だろう。この1年余、国会でも党内でも改憲論議が行われていない。論議が進まないのは野党の抵抗だけではない。夏の参院選を控えて与党自民党公明党もビビッているのだ。

今こそ国民に分かる憲法論議、特に9条論議が必要ではないか。安倍首相は、昨年の国会で、(自衛隊員に対して)「憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれ」とは言えないとして、憲法9条に自衛隊の存在を明記したいというかねてからの持論を繰り返した。自衛隊が「憲法違反かも知れない」なら、それを論議するのがスジではないか。問題の核心は、9条2項が掲げる「戦力の不保持」だ。この解釈を、自衛隊の持つ戦力は「自衛のための戦力」だから憲法に言う「戦力」ではないと言う。この理屈を常識的な国民に納得させるのは容易ではないだろう。

この苦し紛れの解釈を、戦後の憲法制定以来、70年以上も重ねてきたのがわが国の憲法9条だ。この憲法9条の“病根”を放っておいて、自衛隊の“健康”に太鼓判を押したいという安倍首相の念願には根本的にムリがある。国民がノーと言ったらどうなるか。安倍首相は、昨年の国会で、自衛隊明記案がたとえ国民投票で否決されても自衛隊は合憲だという政府の立場は変わらないと言っている。無茶苦茶な言い分ではないか。

安倍首相の“加憲”案では、どこまでも9条2項の「戦力不保持」が問題となり続ける。それを避けるためには、「自衛のための戦力保持」を正当化するという選択肢を挙げてまともに論議すべきではないか。国民の“国語力レベル”で分かる、国民的な憲法論議を進めるべきだ。要するに、国民に分かる明快な「憲法9条」にしなければ、また令和の時代以降に禍根を残すだろう。(2019・5・3 山崎義雄 「中高年ババンG」に拡大版あり)