ババン時評 AIで不老不死の時代に

 

令和時代は、AI(人工知能)が加速度的に進化する。医療をはじめ科学技術の進歩によって人間の平均寿命は大幅に伸びる。遺伝子の組み換えなどによって寿命はさらに伸びるだろう。科学技術は、不老長寿の実現に向かって進歩するが、はたしてその世界は幸せな世界なのだろうか。

もしも不老長寿から不老不死の世界がやってきたら、生きる意味が分からなくなってしまうのではないか。人生と時間に限界がなければ、限られた時間の中で何かを達成したいという目的意識や生きる欲求が希薄になり、何事も急ぐ必要がなくなる。生きることも死ぬことも考える必要がなくなるのだから哲学も、死と向き合う宗教も必要なくなる。

何かの本で読んだが、未来学者のレイ・カーツワイル(だったか)は、AIのもたらすシンギュラリティー(技術的特異点)で、医療テクノロジーが飛躍的に進み、医療の進化が平均寿命を超越する日がくる、すなわち死なない日がくると予測する。彼は、間もなく来ると確信するその日まで何とか生き延びようと200種類(だったか)のビタミン剤やらなにやらを飲み続けているという。本人は大真面目なのだろうが、“技術信奉”に過ぎて“精神世界”を持たない哀れさ、思想や宗教観に欠ける生命維持“作業”は笑えないほど滑稽に思える。

仏教では、人生は「四苦八苦」だと教える。「苦」とは、「苦しみ」ではなく、「思うようにならない」ことで、その根本的な苦が「生老病死(しょうろうびょうし)」の四苦である。これに次ぐ四苦は、愛する者と死別する「愛別離苦(あいべつりく)」、恨んだり憎んだりする者と合わなければならない「怨憎会苦(おんぞうえく)」、欲しいものが手に入らない「求不得苦(ぐふとくく)」、体や心(五蘊)が意のままにならない「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の4つである。合わせて「四苦八苦」するのが人間だが、科学やAIの発達で不老長寿の人間界になると、ほとんど「苦」にする必要がなくなる。

不老不死の未来がくるとは信じがたいが、遺伝子組み換えや人体の“部品交換”など医療テクノロジーの進化で、時代が不老長寿の世界に向っていることは確かである。「未来の人間とは、生きるとは」どういうことか、AI時代の新しい思想が必要になってきているようだ。(2019・5・15 山崎義雄の「ばばんG」に同主旨の「人間とは,生きるとは,必要な未来哲学」あり)