ババン時評 飽食の国、暢気な国

 

大先輩のHさんによると、戦後の食糧難の時代は、子供たちが草、花、木、動物などに興味を持ったのは「食」のためで、食えるか食えないかが問題だったという。親も野草を摘んで日常の食卓に供していたし、子どもも、ぐみ、桑の実、また垣根のマキの実などおやつ代わりにしていた。小動物、とくにカエルは貴重なタンパク源だった。梅雨になれば青梅を食べてもお腹を壊すことがなくなることを知っていた、という。

たしかに我々後期高齢者は、子どものころ、いろいろな木の実草の実を食べていた。冷蔵庫もない時代の子供だったから、少々すえた(饐えた)ご飯や異臭を生じ始めた生ものでも、食えるか食えないかぎりぎりのところを臭いや味覚で(時には度胸で)判断したものだった。今の子供にはそのような芸当?はできない。

もう一人、同年配の友人W君は、最近施行された「食品ロス削減推進法」に不満を漏らしている。捨てないことが正しいと決めつけるのでは、かつて客が残した食材を次の客に使い回ししていた関西の著名な高級料亭や、消費期限切れで回収されてきた食材を再利用して市場に流していた東北の食品加工企業などは賞賛されるということになるーというのである。

大分私的なうっ憤晴らしにも聞こえて笑えるが、『頑張りながらも平々凡々たる生活に終始し、ようやく傘寿に到達した身としては、あくまでも「消費期限」にこだわって、捨てるものは捨てて、少量でも美味しい食事をとっていきたい―」という願いは分からないでもない。

ついでに言えば、加工食品に貼られている「賞味期限」と「消費期限」はよく反対の意味に誤解される。消費者庁の説明を砕いて言えば、「賞味期限」は、「悪くなるから早く賞味しろ、できれば5日以内に食べてしまえ」という意味で、「消費期限」は、「1年や2年なら味は変わらないよ」といった具合に、ゆっくり消費してもおいしく食える期間を表示するものだ。

ともあれ、同じ高齢者でもHさんとW君では「食物観」にこれだけの差がある。この2つの話には、食べ物を巡る今昔感がある。言えることは今の日本は贅沢な食の溢れる平和な国、飽食の国、戦争も忘れた暢気な国だということだろう。(2019・7・5 山崎義雄)