ババン時評 参院選はどうでもいい

 

参院選はどうでもいい。なるようになる。政局の大勢に影響はない。問題は参院選の後だ。政権批判と高言・放言の選挙演説は、選挙が済めば言った本人も忘れてしまう。当選後の所属政党内で、選挙演説で振りかざした自論を主張する議員はいない。党の方針に諾々と従うだけだ。

佐藤政権のブレーンとなって以来、歴代自民党政権に影響を与えてきた国際政治学者の故高坂正尭氏は、京都の選挙区で自民党候補ならぬ他党候補に票を入れたと漏らしたことがあったらしい(服部龍二著「高坂正尭」)。自民党候補が見識を持った候補ではないと見たからだろう。議員はすべからく個人の知見が大事だが、とりわけ「良識の府」であるべき参院では個人の知見・力量が問われる。党派にこだわらず知恵と良識でまっとうな論議をする力量が問われる。

ところがいまの参院は、良識の府どころか衆院の“下請け”になり下がった。参院不要論が言われるようになって久しい。それでも参院選がある以上、国民は投票せざるを得ない。こうした現実に従えば、言を変えるようだが、高坂先生のように立候補者の主張や力量を重視する必要はない。各党の党首が何を言うか、党の主張は何かを比較秤量して票を入れるしかない。

そこで問題なのは、今回の参院選で多くの野党が合従連衡で統一候補を立てたことである。それで当選者の数は増やせるかもしれないが、選挙後はどうなるか。ふたたびバラバラになることは目に見えている。かりに旧民主党ていどに集結できたとしても、党内で右寄りから左寄りまで、勝手な柱を立てて民主屋敷の屋根を支えようとしたが瓦解して今日にいたった経緯がある。

参院選はどうでもいいというのは言い過ぎだが、問題は参院選の後だ。つまり解散もないこれからの参院任期6年の間にどんな働きをするかが問題だ。選挙の争点となっている年金・憲法でも、野党は一方的に政府を攻撃するだけ、財源の裏付けのない空手形を発行するだけだ。具体的な政策立案は自民党政権においてもこれからだが、野党は自民党に伍して中長期的な社会保障政策を立案できるのか。改憲では、まともに自民党改憲案と渡り合えるのか。

さらに根本的な疑問は、野党に、自民党と真剣に“渡り合う”気概があるかどうかだ。立憲民主党は、4年前の安保法制は憲法違反だからそれを撤回しなければ改憲論議には応じないという。安保法は、独裁政権が独断で決めたわけではない。安保法にこだわって改憲論議を拒否するのは議員としての務めを放棄する“義務違反”“職場放棄”ではないか。(2019・7・6 山崎義雄)