ババン時評 日韓関係の改善は可能か

 いま韓国は、日本による半導体関連材料の対韓輸出規制に驚き、あわてて米国に仲裁を頼み込んでいる。これまで慰安婦問題、元徴用工問題、自衛隊機へのレーダー照射事件などで、一方的な言い分を言い募るばかりで一向に日本の発言に耳を貸さなかった韓国が―である。

思うに、国家の約束を平気で反故にし、驚くべき理屈を言い募る韓国は、トランプの米国など、他の「自国第一」主義とは違う民族的な特性を持つ国なのかもしれない。その韓国民族の特性を顕著に具現してみせるのが現・文大統領ではないだろうか。

以前、「蔓延する“不寛容”」というエッセイを書いたことがある。10人のうち左右両極に立つ2人の意見が対立する場合は、中の8人が協議して結論を出すのが民主主義だ。その両極に立つ2人が3人4人と増えて行く状態が不寛容の蔓延する姿だ。不寛容は両極端の人間が持つ特徴的な属性だが、韓国の場合は、不寛容が民族的な属性かとさえ思えてくる。

国語辞典によれば、まず「寛容」とは、「心が広く、人を受け入れ、過ちを許すこと」である。したがって、人間関係でも国家間でも寛容に過ぎれば相手に何の“作用”も及ぼすことがないことになり、逆に不寛容は強い“作用”を及ぼすことになる。となると、円満な国際関係を保つためには、常に寛容と不寛容の間で解を求める精神・矜持が求められよう。

たまたま先月(6月)実施された読売新聞と韓国日報の共同意識調査では、韓国側で自らの政治思想を「進歩(左派)」と答えたのは25%、多少親日的な「保守」は24%、「中道」は42%だった。また、明るい材料は、29歳以下の若年層で、相手国に「親しみを感じる」が、日韓ともに4割台に達したことくらいだろう。

となれば、もし日韓関係の改善を望むのであれば、この「中道」42%の韓国国民と「若者」に関係改善の期待をつなぐしかないのではないか。やるならばそこにターゲットを絞り、SNSなどネットの活用を中心に日本の現実と主張を組織的に粘り強く発信する工夫をすべきではないか。

また、韓国の若者には、歴史教育ですり込まれた侵略国家日本のイメージと、現実に見たり聞いたりして知る日本への親しみの意識が「二重構造」になっていることが考えられる。だとすれば、その意識の混乱を解消する辛抱強い工夫も必要ではないか。(2019・7・12 山崎義雄)