ババン時評 世は軽く、せっかちになった

今の世の中、フエィクニュースやら、無責任発言やら、刹那的な言動やらが目立ち、人間はますます軽く、せっかちになってきた。この一文も近視眼的雑感である。まず参院選の、テレビや街頭の選挙演説を聞いていると、後期高齢者のおじさんとしては、なにやら「空しさ」に襲われることが多い。政治経験のない、政治のイロハをしらない若い新人候補が、「暮らしを守る」「命を守る」などと叫ぶのを聞いていると、「空しさ」を通り越して、「言葉の軽さ」にうんざりする。

テレビで夏場所大相撲を見ていたら、中継の途中でアナウンサーが軽い感じで『相撲界には「3年先の稽古」という言葉がある』と言った。実に含蓄のある言葉で、本当の稽古は、目先の勝負に勝つための稽古ではないというような教えだろう。それで頭に浮かんだのは、「石の上にも3年」だ。3年座れば石も温まる、辛抱すれば、頑張れば報われるという教えだ。ついでに言えば「点滴石をも穿つ」という言葉もある。ぽつぽつ落ちる軒の雨だれも、やがては軒下の石に穴を穿つ、辛抱強く努力を続ければやがて成果が上がるという教えだ。しかし、こういう教えは今どき流行らない。古臭い。死語だ、ということになる。現代人はみんなせっかちであくせくと忙しい。

これもテレビを見ていたら、エスカレーターでは歩かない、左右とも立って乗るというマナーの普及に取り組む動きを報じていたので思い出した。たまたま、7月12日の10時半ごろ、地下鉄表参道の上りエスカレーターは混んでいて、右側にもけっこう人が立っていた。その横を、30代とおぼしき女性が、ご高齢のおじさんに、「通してください」とでも言いながらだろうが、横をすり抜けて上って行った。おじさんが「おい、待て」と怒声を上げた。その権幕は穏やかならざるもので少々嫌な感じだったが、女性も女性で振り向くでも謝るでもなくすたすたと先を行った。

例に引くにはレベルが高すぎるが、読売新聞(7・17)の連載で、ノーベル賞大隅良典先生が、「すぐに応用に結びつく研究が論文になりやすいといった傾向が世界的に強まっている」と指摘し、《一流科学誌は人目を引く研究論文を載せ、商業主義的だという批判が科学界にはある。(中略)米国のシェックマン博士は2013年、「ネイチャー」など3大誌には論文を出さない、と絶縁を宣言した》と語っている。基礎科学の世界でもせっかちになってきたらしい。これでいいのだろうか。(いいわけがない!)(2019・7・20 山崎義雄)