ババン時評 「敬老の日」のうそ寒さ

 

今どきは、長寿者が厄介者にされかねない世の中になり、敬老の精神など過去の遺物になりはてた感がある。毎年9月の第3月曜日は「敬老の日」で、今年は9月16日(月)だった。敬老の日祝日法として制定されたのは、なんと巷に戦後の傷跡も生々しい昭和23年(1948年)という。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことが目的とされるが、逆にその時代だったからこそ「敬老の精神」が生きていたのかもしれない。

これは実話で、数日前の混んだ電車から降りようとした高齢の女性、私と同じ美術団体に所属する絵描き仲間の女性が、「すみません。降ります」と言いながら降り掛けたところ、ドア近くにいた中年の女性が何かを言い、一緒に降りたホームで“のど輪責め”で首を絞められ「ババア死ね」と怒鳴られ、からくも割って入った男性に救われたという。嘘のような本当の話である。

これも最近の話だが、こちらは元気でぶしつけな(よくいる)おばあちゃんの話である。友人の奥さんが病院の待合室に入ったところ、高齢のおばあちゃんにつかまった。何科ですか、私はこうこうなのと、体の具合などを話しかけてきた。こちらの迷惑などおかまいなしに話が続き、何年か前に夫が亡くなり本当に寂しいと言いながら、「夫は刺身のおいしいところから食べ、残りを私に食べさせる」人で、「お前においしい料理を食べさせてもらったことはない、なんて言うんですよー」などと続き、さらに2人の娘が、「この家をどうするの、本当はどのくら貯えがあるのと、来るたびに聞くんですよ」、などとグチを聞かされてまいったという。これに似た厄介なご老体はゴマンといる。

ともあれ、今年の敬老の日に、子や孫や知人などから敬老の日のプレゼントをもらった人は、いったいどれほどいるのだろうか。しかしそれはどうでもいい。敬老の日が形骸化しようと知ったことではない。ただし高齢者が世間の厄介者扱いをされることだけは承服できかねる。

科学万能のAI時代についていけない高齢者も、それぞれの人生を生きて身に着けた人生観や価値観をもっている。例えはおかしいが、リンゴのシンコ(芯)は役に立たないかもしれないが、シンコがなければリンゴに成らない。己らしい根性や頑迷なシンコをもった一個のリンゴのような生き方があってもいいのではないか。(2019・9・21 山崎義雄)