ババン時評 急がば回れ「改憲9条」論議

 

日本の憲法は、戦後の制定以来、手つかずできた世界に類を見ない“長生き憲法”だ。その憲法の、とりわけ9条の改憲を、安倍首相は、できれば来年遅くとも再来年の、自分の党総裁任期満了までに国会を通し、国民投票で仕上げるつもりらしい。しかし頼りの公明党は「落ち着いて議論する状況が大事だ」(山口代表)などと煮え切らない。首相の戦略は短兵急のムリ筋に見える。

それに対して野党の多くには改憲論議に応じる構えが見えず、依然として腰が定まらない。立憲民主党は、「国民が憲法改正を望んでいないから」(福山幹事長)という手前勝手な理屈で党内での改憲論議をせず具体的な政策を持っていない。国民民主は「改憲論議にはしっかり参加していきたい」(玉木代表)と前向きの姿勢は示すものの、こちらも対論の持ち合わせはない。

安倍首相はじめ政府・与党の主流は、戦争放棄をうたう9条1項、2項をそのまま残すことで平和維持の姿勢を明らかにしながら(ここが論議の紛糾するところなのだが)、あらたに設ける3項で自衛隊の存在を容認し、合憲性を明文化しようとしている。

現在の「政府解釈」では、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力組織」であり、2項が禁じる「戦力」には当たらないとする。しかし、野党だけでなく自民党内にも、世界有数の戦闘能力を持つ自衛隊が戦力ではないというのは詭弁だとする声が強まっている。石破茂元幹事長は一貫してこの矛盾を突いている。「戦力」を認めない限り9条論議は安倍改憲後も延々と続く。

要するに政府の見解、自衛隊の持っている世界に誇る「戦う力」に加えて、これから導入する「イージスアショア」も「F35Bステルス戦闘機」も「戦力」ではなく自衛のための「実力」だとする理屈は、一般市民にとっても、常識外れの“強弁”に聞こえる。「戦力を持たない自衛隊」ではどこか変だなと、大方の国民が奇異に感じるのは至極当然ではないか。

憲法学界ではいまだに多くの憲法学者自衛隊違憲論を取る。しかし違憲自衛隊をやめて現行の平和憲法を守れというのは、限りなく丸裸の平和国家を目指すことになる。三方を敵性国家に囲まれる日本の現実を無視した空論だ。逆に「戦力」としての自衛隊を認める王道は、現行の9条2項を棄てて正当な戦力保持を明らかにすることだ。急がば回れで、改憲を急ぐより王道を行く議論をすべきではないか。(2019・9・25 山崎義雄)