ババン時評 同情すべき?関電の収賄者

 

これは実に稚拙な人間ドラマではないか。要するに一般庶民から見たら大企業の経営層は、人物・識見ともに兼ね備えたエライ人たちのはずなのに、なんだか情けない人たちの集まりのように見えてくる。町役場の助役に怒鳴られ、結局は心ならずも?やましい金品をいただいてしまった関西電力の経営幹部たち―。問題はこの金品収受に犯罪性、収賄の容疑があるかないかだが、一方の当事者である贈賄側の元助役が死亡しているから立件は難しいようだ。

そもそも原発事業は、地元住民の理解を得なければ立地できず継続もできない。地元住民の理解を得るためには地元の自治体や有力者の協力が欠かせない。そして住民の理解も自治体や有力者の協力もカネなしにはうまく運ばない。そこから関電のように町役場の“辣腕家”に頼ったり、表ざたにできないおかしなカネの流れも生じたりすることになる。おそらくこの時代遅れの構図は、他の電力会社にも共通の“企業風土”だろう。

昨年の社内調査委員会の委員長 小林敬弁護士は、おおよそこんなことを語っている(読売 10・3)。関電関係者が、金品授供与を容認、是認したことはないとする供述は、素直に真実であると判断される。わざわざ貸金庫を借りるなどの対応を続けた挙げ句、税務当局との関係でも多額の出損(出費)を余儀なくされた担当者らの境遇には、むしろ同情さえ禁じ得ない。結局のところ、会社あるいは組織としての対応をするという決断を会社がなし得なかったこと、その勇気が幹部らになかったことに尽きる―。

小林弁護士の言は、まるで金品供与を受けた側の弁護人の言ではないか。そして報告書は、(今回不祥事の処理は)「不適切だが違法ではない」と結論づけたところから以後1年も調査内容が公表されずに隠蔽されることになり、今年3月には元助役氏が死亡して事実の解明も犯罪性の立証もできない状況になった。大きな責任は、昨年の社内調査報告にあると言うべきだろう。

それにしても、会社は金品授受の責任を個人に押し付け、押し付けられた個人は元助役の恫喝に怯えて返し損ねたり、それを貸金庫に保管したり、金品の誘惑に駆られて費消したり、エライ人とは言いかねる醜態をさらすという人間ドラマを演じてしまった。企業のコンプライアンス法令遵守)を問題にする前に、人間の弱さ、愚かさ、人間の“品質”維持の難しさを考えさせられてしまう。(2019・10・5 山崎義雄)