ババン時評 “付け火”にも良し悪しあり

 

昔の火付けには物語がある。それに比べて、世界が震撼した京都アニメ放火事件は、見当違いの恨みによるあまりに深刻で劣悪な犯罪だ。物語どころか悪夢に似た惨劇で、犯人の心理に思いを寄せるべき一片の条理もない。昔から火付けの罪は重い。池波正太郎鬼平犯科帳」の主人公、火付け盗賊改めの鬼平こと長谷川平蔵なら、お裁きなしにバッサリ切って捨てていいことになっている。それほど火付けの罪は昔から重く裁かれた。

とはいえ、厳しすぎるお裁きは八百屋お七の火付けだ。八百屋の八兵衛一家が避難した檀那寺で、16歳の娘お七が寺の小姓と恋仲になる。やがて一家は建て直した店に戻ったものの、お七は男恋しさに、もう一度火事になれば会えると考えて店に放火する。ボヤで済んだがお七は捕らえられ、鈴ヶ森で火炙りの刑に処せられる。これとは別に、江戸・駒込で出火し3、500人とも言われる死者を出した“天和の大火”(1683年)がある。これが後に“お七火事”と呼ばれるようになったのも気の毒だ。

同じ付け火でも、あの義経の付け火は情けない。宇治川の合戦の時は、戦の邪魔になるとして川端の家300軒を焼き、隠れていた老人子供などを焼き殺したという。鵯越・一の谷合戦の時は、丹波の三草山で平家軍7,000に夜襲をかけるために、周囲の民家に火をかけて松明代わりにした。火付けは、当時の戦法の一つだったとはいえ、義経のイメージを損なうことこの上ない。

ところが、感動的な“付け火”もある。「稲むらの火」は戦中から戦後の昭和22年まで国定教科書にも載っていた実話だ。話の大筋は、ある村の庄屋が、高台の屋敷の庭で、不気味な地鳴りと共に波が大きく引いて海底が現れて行くのを見て津波が来ると判断する。庄屋は刈り取って積み上げてあった稲束の山に次から次へと火をつけ、駆けつけた若い衆たちに下知して村人を高台に非難させた。

この話の元は、安政南海地震津波(1815年)の折りの紀伊国広村(現山口県広川町)の故事をもとにラフカディオ・ハーンが書いた小説だ。事実と違う面もいろいろ指摘されるが、実話の主人公、濱口儀兵衛という人はその後、私財を投じて長さ600メートル、高さ5.5メートルの堤防を構築した。「稲むらの火」から131年後の昭和21年、4メートルの大津波に襲われたが、この村落は救われた。何事にも表もあれば裏もあり、付け火にさえも良し悪しがある。(2019・⒒‣9 山崎義雄)