ババン時評 石ころの話

巨星墜つ、中曽根康弘元総理大臣が逝去した。おそらく戦後で1,2を争う代表的な政治家だろう。その中曽根さんとは全く関係のない「いい感じの石ころを拾いに」(宮田珠己著 中公文庫)という本が今、話題になっている。巨星の大政治家と河原の石ころでは天地の差があり、関係ない話なのだが、私には巨星と石ころにまつわる小さな思い出がある。

たぶん中曽根さんも子供の頃、近くの河原で小石を拾った思い出があるだろう。というのはこじつけだが、偉くなった人もならなかった人も、子供のころに河原の小石を拾ったことのない人はまずいない。「石ころ拾い」の著者・宮田さんは、いい石を探して全国を飛びまわった。

よくもまあこんな色や形の石があるものだと驚くほど多彩な石、宮田さん自慢の石が巻末にカラーで紹介されている。土地の名物や食い物などには一切興味を示さず、ひたすらいい石を探す宮田さんの石拾いに根気よく付き合ったのは、出版社の担当編集者だった武田砂鉄さんだ。

武田さんは中途で出版社を退社したが、本書の出版に当たって解説の執筆を依頼された。引き受けてはみたものの、意味のない?石拾いの尊さとか、どう解説すればいいのかと迷う。正直、石拾いに付き合いながら、「いつまで拾うんだろう」とか、「腹が減ったな-」などと思っていたものだ。石拾いが退社の転機になった、とでも言えれば恰好がつくのだが、実際はそうじゃない。今は、付き合いで?拾い集めた石を自宅の庭にばらまいて、風雨にさらしたまま、たまに眺めるだけだ。という武田さんだが、宮田さんとの仲は相当に“波長”が合っていたのではないか。

話は変わるが、かれこれ60年ほど昔、さる大きな禅寺の大僧正が、寺の幼稚園の遠足で都外 浅川の河原に遊んだことがある。その折りに大僧正は、子供たちに好きな小石を1つずつ拾わせた。これを保母さんたちが紙の小袋に入れて、子供たちに持たせてお土産にした。大僧正には石に仮託した思いがあったのだろう。

この話は、私が大学2年の頃、縁あってその寺に身を寄せていた?ころの話だ。あの小石を今も持っている卒園児はいるだろうかと、時折思うことがある。その大僧正と中曽根さんは群馬・高崎出身の同郷だった。そのせいか、あるいはどなたかの仏事の折りだったのか忘れたが、威風堂々の中曽根さんと、その寺の廊下ですれ違ったことがある。オーラに圧倒された。石ころの本から思い出した、小石と大僧正と中曽根さんー。セピア色の記念写真を見るような想い出である。(2019・12・4 山崎義雄)