ババン時評 今も変わらぬ中国の“本性”

 “内向き米国”が、少し本来の“根性”を見せた。香港の人権侵害にノーを突きつけ「香港人権法」を成立させた。これに対して中国が「内政干渉だ」と強く抗議している。東西冷戦が終わって30年の今、米国という断トツの“ボス”が弱気になって、世界は“Gセブン”ならぬ“Gゼロ”時代を迎えている。ここで急激にのし上がってきたのが米国に取って代わる気の?新ボス中国だ。

司馬遼太郎に最後の著作「この国のかたち」があるが、司馬は、断固として日本の「国のかたち」があると考えた。司馬さんの名前は、司馬 遼 太郎で、司馬に遼(はるか)に及ばない(日本の)太郎という意だという。古代中国の司馬家は名門で、司馬さんが中国司馬家の誰を尊崇したのか知らないが、たぶん中国最古の史書史記」を著した司馬遷だろう。(当たり前だと笑われるか)

中国の国のかたちとはいかなるものか。今売れている渡邊義浩著「漢帝国400年の歴史」終章で筆者は大要こんなことを言っている。最後の中華帝国である清を倒した辛亥革命は、中国に近代化をたらしたかに見えたが、日本のような近代化や民主主義とは無縁だった。

その理由は、中国の官僚制にあるとする。豪族などまでみな高級官僚になることを目指し、すべての権力が国家に収斂された。また近代文学の祖・魯迅が「狂人日記」で言ったように、「儒教が人を食った」。中国の儒教は、教義を変えながらも古典中国の(歴代皇帝の)正統性を近代にいたるまで支え続けた。要するに中国は、歴代皇帝が強権をもって君臨し続けたということだ。

また、旧陸軍の大本営参謀・辻政信も、「先行三千里」(毎日ワンズ)で、孫文辛亥革命は近代的民主主義革命ではなかったと言う。これは満州朝廷に代わる孫文朝廷の建設を狙ったものだ。その後の蒋介石の狙いも軍権と政権の掌握だ。共産党の全中国統一もそれで、マルクス主義の社会革命ではない。中国4千年の歴史は、権勢を争う集団・個人の理念なき闘争史だと言った。

ならば中国の現政権も理念なき闘争史を今後も繰り返すだろう。米政治学者のイアン・ブレマー氏は、「日本は、政治的安定、先見の明、技術的人材に恵まれている。新たな世界秩序の形成に向けて、リーダーシップの一翼を担うべきだ」と言う(読売新聞11・17)。日本にそんな力があるかどうか知らないが、少なくとも“根性”の曲がっていない国として、日本はこれからの世界における紛争仲介者の任に相応しいのではないか。(2019・12・15 山崎義雄)