ババン時評 「倫理ロボット」がやってくる

いつの間にか日本の“タガ”が緩んで、あまりに情けない凶悪事件や金銭トラブル・人間トラブルが続く。そして今、政治・経済・教育・医学・スポーツ界から一般社会にいたるまで、あらゆる人間社会で倫理観の衰えや倫理・道徳の欠如が問題視されている。

それにしても、倫理・道徳は、“人間専科”の価値観だと思っていたが、そうでもないらしい。「ロボットからの倫理学入門」(久木田永生・神崎宣次・佐々木拓 著 名古屋大学出版会 刊)なる書物が2年以上も前に出ていることを知った。著者はいずれも京大卒の大学教授・準教授だ。実は読んでいないが知友の読後感をかりれば、その内容はこういうことだ。

まず同書の狙いは2つ、「ロボットから倫理学を考える」ことと「ロボットの倫理を考える」ことだ。そこで本書は問う。そもそも「道徳性とは何か」。しかしこれは本来、機械やロボットとは無縁・無関係に考えるべき“人間専科”のテーマであり、かつ安易に結論の出ないテーマでもある。したがって「そもそも機械は道徳的になり得るか」というテーマに対する答えも否定的にならざるを得ない。なおさら、「道徳的な機械は如何にして可能か」というテーマには、簡単に「ムリだ」と答えざるを得ない。

道徳も倫理も、人の行うべき正しい道だが、さらに言えば、道徳は規範的・行為的な側面をもち、倫理は内面的・意識的な側面を持ってより精神的な要素が強いといえよう。その精神作用をロボットが行うということは、凡俗の人間なら敬遠する哲学・宗教の世界にロボットが踏み込むことを意味するものだろう。

ともあれ科学者は、倫理を無視して科学的可能性を追求する。これまでの科学はそれをやってきた。倫理を無視して原子爆弾を開発し、倫理を無視して核兵器を作り、倫理を無視して今AI殺人兵器を作っている。今度は、倫理を無視して「倫理ロボット」の開発に向かうだろう。

近い将来、倫理観の衰えや倫理・道徳の欠如でますます混乱するだろうこの人間社会に、救世主のように「倫理ロボット」が登場する日がくるのだろうか。「倫理ロボット」が人間に教訓を垂れ、「道徳ロボット」が、人間行動の良否に断を下す日が来るのだろうか。いきなりだが、そんな世がくるまで生きたくはない。(2019・12・5 山崎義雄)