ババン時評 令和の新“ひきこもりびと”

一般的に“ひきこもり”は良くないこと、好ましくない状態として否定的に認識されている。そのひきこもりが、今、中高年齢層で増えているという。世の荒波をくぐって生きてきたはずの中高年齢者がひきこもりになるというのはどういうことだろう。あるいは、中高年者のひきこもりには、それなりのレーゾンデートル(存在理由)があるのだろうか。

そして、従来のひきこもりを越えた“価値”のある中高年の新たな“ひきこもりびと”が出てきているのではなかろうか。先の「ババン時評 “ひきこもりびと”の生き方」では、単なるひきこもりを越えた意味を持つ“ひきこもりびと”を想定して書いた。

前回は、「問題は、自立とは何か、ということである。一般的な社会生活を送り、仕事をして収入を得られれば本物の“自立”ということになろうが、それを“ひきこもりびと”に求めるのか。一歩進めて考えれば、“ひきこもりびと”には、それにふさわしい別建ての“自立と生き方”があるのではないか、と書いた。今回はその続きである。

厚労省のひきこもりに関する調査では、中高年者のひきこもりは61万人超となっている。そして、20歳から64歳までを対象にした5歳刻みで「ひきこもりの状態になった年齢」をみると、60~64歳が最も多く、断トツの1位である。60代に入った途端にひきこもりになるのである。

しかしこれを簡単に信用してはならない。同じ厚労省調べで「ひきこもりのなったきっかけ」を見ると「退職した」ことが理由の断トツ1位で、これに「人間関係がうまくいかなかった」「病気」などと続く。ちなみに、ひきこもりとは「自室や家からほとんど出ない。出ても趣味の用事や近所のコンビニ程度。これを6カ月以上続けること」だ。だいぶ緩い定義で深刻さに欠ける。

また退職がひきこもりの原因だということを、単純に退職して社会との接点を失ったと解釈するのは、それこそ単純な解釈にすぎるだろう。退職して、「これからはのんびりと」とひきこもる人もいるだろう。ひきこもりがちな友人に聞いたら、「テレビの前が私の毎日の定位置だ」というのやら、「出かけるとカネがかかる」と言ったものもいる。

そういうずぼらなひきこもりだけでなく、読書や創作、インターネット世界でつながるなど、在宅好みで精神面で積極的な“ひきこもりびと”もいるのではないか。昔から洋の東西に精神貴族の隠遁生活者がいる。令和の新時代にふさわしい新しい“ひきこもりびと”が生まれつつあるのではないか。(2019・12・18 山崎義雄)