ババン時評 借金を拒み続けた勝海舟

日本が借金大国であることは世界中が知っている。しかしそんなものは何の問題もないというのがMMT理論(現代金融理論)で、一言で言えば、足りなければ紙幣を刷って使えばいいという安直な経済・金融理論だ。しかし書店にはまだ類書が並んでいる。論議も賛否両論が蒸し返されている。

昨年の5月に、この「ババン時評」で「国はドンドンお金を刷って使え」というテーマで実はMMT批判を書いた。ここでは、MMT論者の1人で、先ごろ来日した豪ニューカッスル大のビル・ミッチェル教授のインタビュー記事(日本経済新聞 L1・12・25)に少し触れたい。

ミッチェル教授は、MMTは無節操な財政赤字を容認しているわけではなく、インフレが発生しているような状況ではMMTを容認できないと言う。その上で、日本はインフレの兆しすらないのだから、MMTによって財政支出を伸ばす余地が大いにあると言うのだ。

そしてミッチェル教授は、国の債務の大きさ(日本の債務は国内総生産GDP)の2倍)だけを見るのではなく、国の政策が国民にとって重要なものを提供しているかどうかが問題だとする。たとえば雇用では、日本の失業率は極めて低い。国が市民の面倒を見ているということだ、と言う。さらに、MMTの観点では、公的債務は非政府部門の富とも言えるとする。

同教授の言い分には疑問がある。①国の債務が増えても、国が(国の施策が)市民(国民)の面倒を見ているのだから問題ない、という点である。問題は国が面倒を見ているのは「今の人」であり、国の借金を払うのは「未来の人」であるということだ。②公的債務は非政府部門の富である、という点も問題である。言い換えれば、国の借金は民間が国に貸している富(国民の債権)だということだが、この理屈、国民の多くが素直に肯定できるだろうか。

ここで、勝海舟先生にコメントを願おう。「幕府の内輪は傾いてくる。官軍は攻めてくる。さあその用意をしなければならない」(中略)「これが一家や一個人のことなら、どうなってもたいしたことはないが、なにしろ一国のことだから、もし一歩誤れば、何千万人といふものが、子々孫々までも大変なことになってしまうのだ。それでおれが局に立って居る間は、手の届く限りは借金政略を拒み通した」(勝海舟「氷川清話」講談社学術文庫)。幕末・維新のときの話だが、いまに生きる卓見ではないか。(2020・1・15 山崎義雄)