ババン時評 人それぞれ「死に方の覚悟」

お元気ですか?1日に2キロの散策は続けるようにしていますが、ここのところ、すぐに疲れてしまいます。椅子に腰かける時も立ち上がる時も知らず知らずのうちに「ヨイショ」という掛け声を口にしてしまいます-。これは最近、友人からもらったメールである。

さらに友人は言う。食欲は落ちてくるし、ゼンソクと花粉症で眠りも浅くなるといった有様で情けないことです。このままスウーッと神に召されるのならば良いのですが、七転八倒の痛みに遭遇することだけは勘弁してほしいナと思う今日この頃ではあります-。

ところで、人間だれしも死にたくないと考えるのがあたりまえだと思うが、OECD調査によれば日本人の自殺率は先進7か国中のトップだ。死に方は難しい。私はよく悪い冗談で「いのち根性が汚い」と言う。みっともなく死を免れようとしたり、いたずらに生に拘泥して醜態をさらすような例を笑う時に使う。

明治維新のとき、官軍の侵攻であわや江戸の町が火の海になるところを身を棄てて防ごうとした幕臣山岡鉄舟がいる。彼に、「死んだとて損得もなし馬鹿野郎」の一句がある。ゲスな注釈なら「デージ(大事)なコタぁ生き死にじゃネー、ベラボウメ」といったところだろう。

後年、鉄舟の死の間際を見舞って「ずいぶんと往生なされよ」と言い放ったのが勝海舟だ。海舟は晩年にいたって回想し、「山岡鉄舟大久保一翁も熱性(ねつしょう)で切迫の方だったから、可哀そうに早く死んだよ。おれはただずるいから、こんなに長生きしとるのサ」と語った(氷川清話)。

海舟は1899年(明治32年)、77歳まで生きた。爵位を賜っていた海舟は、晩年にこうも語っている。「人間生きているほど面倒くさいものはない。それならといって、まさか首をくくって死ぬるわけにも行かず、伯爵の華族さまが縊死したと新聞に出されると恥だからノー」。

鉄舟・海舟両先生のような大悟も覚悟も栄誉もないし、逆に「命根性が汚い」生き方も嫌だから、結局は、あるがままに生きるしかなさそうだ。自殺を禁じるキリスト教徒の友人も、凡人の私も、生かされるところまで生きて行くしかないと諦めて(仏の教える諦観)生きるのが人生ではなかろうか。(2020・3・5 山崎義雄)