ババン時評 東北人の自制心と忍耐力

 この小文を発表する4月半ばの時点で、唯一、コロナ禍に見舞われずに頑張っているのは岩手県だけだ。私の郷里でもあり、なんとかこのまま頑張ってもらいたいと願うばかりだ。岩手に限らず東京など都会で暮らす東北出身の高齢者は、生まれ故郷の東北弁に劣等感を持ちながらも、厳しい風土が育ててくれた忍耐力で生きてきた者が多い。

山口謡司著『日本語を作った男』は、国語学者上田万年の業績を辿るまじめな本だが、冒頭で、全国から人の流入する明治維新の東京では、お互い何を言っているのか分からない混乱の中で生きていたと言い、さるお屋敷で多くの奉公人がお里丸出しの方言で珍妙な会話を交わす様子を、井上ひさし著『国語元年』を借りて面白おかしく描く。井上も岩手県との所縁が深い。

浅田次郎の小説には本格的な東北の風土や東北弁がふんだんに出てくる。映画やテレビドラマにもなった『壬生義士伝』では、貧困から南部藩を脱藩して新選組隊士となった主人公・吉村寛一郎が方言丸出しだ。北辰一刀流免許皆伝の腕前を生かして人斬りも厭わず金を稼ぎ、妻子のために送金する。人柄は朴訥で腰が低く、時には卑屈にさえ見える。

その寛一郎の口をついて出る言葉に「おもさげながんす」がある。「申し訳ありません」という最上級の詫び言葉だ。常に「おもさげながんす」と言いながら稼いで生きる。最後は鳥羽伏見の戦いに敗れ、瀕死の態で大阪の南部藩藩邸にたどり着き、義と意地を貫いた一生を切腹で締めくくる。

もしも藤原三代の奥州平泉が義経と心中せず、京都に対抗して生き延びて、ひょっとして今、平泉が日本の首都になっていたら、ズーズー弁が「ひょうずんご」(標準語)だ。「すすけ」(寿司食え)」、「もずけ」(餅食え)、「ツーズけ」(チーズ食え)、「さげッコのむベス」(酒を飲もう)となる。

東北人の気質もいろいろだが、総じていえば、忍耐、根気、寛容、無口などの自制的な気質が強いのではないか。学習院大教授の赤坂憲雄氏は「東北学」で大変な著作を持つが、持論として、名古屋、京都、福岡などは「中世以来のケガレや差別の風土を濃密に持つが、東北には差別がない」と言っている。東北人は、穏やかな東北弁の内に、強い自制心と忍耐力を秘めている。東北頑張れ、岩手頑張れ。(2020・4・18 山崎義雄)