ババン時評 背中で生きる人生

昨年3月に92歳で死去した俳優・織本順吉さんは、存在感のある俳優で、映画、テレビ、舞台などで幅広く活躍した。映画では深作欣二監督作品の常連だった。ご自身は「刑事役もヤクザ役もそう変わりはない。人間である以上、内面にはどこか共通する部分があるから。人物像を総合的にとらえれば、どんな役も違和感はない」と語っていたと言う。

テレビBS1(4月22日)で、織本さんの晩年を娘さんの結美さんが撮ったドキュメント「老いてなお花となる」を観た。織本さんの、死に至るまでの5年間を記録したもの。目を背けたくなるほどの惨めな姿と相貌でベッドに横たわる父の姿など、他人の目にさらしたくないような老いの日常を冷徹にカメラで追っている。

セリフ覚えがよく、撮影現場に脚本を持ち込むことがなかったという織本さんが、晩年に至ってはセリフを覚えられなくなり、妻に当たって反撃され、老いの形相で激しく怒鳴りあい、テーブルを叩き、そして落胆する場面など、役者としての屈辱的な場面も結美さんのカメラが追う。その撮影を織本さんは役者魂で受け入れる。

結美さんは創作の動機について、家庭を顧みずに役者道を生きてきた父に対して、許せないという思いもあり、いわば復讐だとまで言う。その娘に、完成フイルムをみた父が「よく撮った。お前でなければできなかった」と言う。このドキュメンタリーは、演技者と制作者の格闘でもあった。

こうした役者魂で娘のカメラに身をさらした織本さんが、「撮るな、背中から撮るのは止めろ」と激しくカメラを拒否した場面がある。玄関を出て妻に支えられながら前かがみに少し歩き、力なく敷石に座り込む後ろ姿である。

これは、幅広い役柄をこなしてきた織本さんにしても、コントロールの効かないのが人間の背中だったということではないか。老いの実相は隠しようもなく、演じようもなく無残に背中に現れる。万能の演者である織本さんにしても制御不能で撮られたくないシーンだったのではないか。

このドキュメントを見て思ったのは、人間だれしも、こんな背中を背負って生きるということである。そして人間だれしもが演技では演じようもない背中を背負って、たった一つの人生を演じる主役だと改めて気づかされた。(2020・4・26 山崎義雄)