ババン時評 コロナ「長丁場」の終点は?

“目くじら立てる”とは古い言い回しだが“長丁場”も古い。目くじら立てるほどのことではないかもしれないが、5月1日、政府のコロナ対策専門家会議が、コロナ対策は「長丁場」になると提言した。なぜ「長丁場」なのか。なぜ「長期戦」などの表現ではいけないのか。どうやらコロナ対策は“いくさ”や“戦争”ではないという認識からの言い換えらしい。

「長丁場」の意味は、物事が終わるまで長くかかるという意味だが、“出自”は、昔の街道の宿駅から次の宿駅までの間が長いことを言ったもので、特に今の若い人には馴染みの薄い言葉だろう。それに、「戦=いくさ」がいけないなら「神経戦」や「棋聖戦」や「受験戦争」などの表現もよくないことになる。この「長丁場」は、才気煥発?な小池都知事の「三密」のようには流行らないだろう。

専門家会議が「長丁場」に言い換えるほどに日本語にこだわるなら、コロナ周辺で氾濫する横文字は気にならないのだろうか。たとえば「パンデミック」「クラスター」「オーバーシュート」だ。パンデミックは「広範囲に及ぶ流行病」、「クラスター」は「集団内での感染」、「オーバーシュート」は「爆発的な急増」といった意味とされる。いずれも多くの日本人にとって、とりわけ中高年者にとてはなじみにくい横文字である。

それぞれ訳語もあるようだが、流行らない。「長丁場」を考えるヒマがあるなら、(専門家会議とは限らないが)たとえばパンデミックは「広域感染」とか、クラスターは「集団感染」、オーバーシュートは「感染急増」などとし、その後にカッコつきで横文字を入れるなど、表記の仕方を工夫をしてはどうだろうか。もちろん日本語ならいいというわけではない。コロナ当初から言われて今は使われなくなった「濃厚接触」などは気色の悪い言葉だった。

もちろんこの一文、専門家会議にケチをつける意図はない。提言の現状認識、新たな行動対応要請、地域医療体制の強化は正当で喫緊の課題である。そのうえで、ついでに言えば、コロナは、世界人口の3分の2が“耐性”を獲得するまで、この先2年ほどは収まらないという説もあるようだが、国民は疲れている。できれば「長丁場」の終点も教えてもらいたい。(2020・5・4 山崎義雄)