ババン時評 お坊さんアラカルト

お盆の時期だから、お坊さんの話。お坊さんの話はけっこう“在庫”があり、すでに書いた話もあるが、変哲もない話からまじめな話まで、思いつく例を5つほど紹介する。

知人の女性が今よりもう少し若かったころ?‼ 郷里に帰る飛行機で、僧衣で60前後の坊さんと隣席になった。それまで話をするでもなかったのだが、途中、飛行機がエアポケットに落ちてガタガタと大きく揺れた途端に、坊さんがいきなり女性の手をぎゅっと握った。飛行機が安定してもしばらく手を離さなかったが、坊さんの横顔に恐怖の様子が見られたので女性はそのままにさせておいた。

20代のころ、お寺に寄宿して2年ほどお世話になったことがある。由緒ある禅寺で、方丈さん(住職)は宗派内で何本かの指に入る名の知れた禅僧。恰幅もよく威厳のあるその高僧が、夜中の大地震に驚いて枕と手近の壺を抱えて庭に飛び出したという。これは寺に居住する何人かの坊さんに聞いたエピソードだが、私が方丈さんを知るだいぶ以前の話であり、真偽のほどは定かでない。

施餓鬼会で聞いた老和尚の話である。ボケた老妻は、消さなくてもいいと叱っても、長年の習慣で夜は廊下の電気を消す。暗いから夜中のトイレに間に会わず粗相をする。消されないように電気のスイッチを高くしたら、「電気代がもったいないから電灯を小さいのに変えて」と「説教をくらった」。和尚は考える。座禅を組んでいても雑念を払うことは難しい。色欲、食欲、物欲から逃れきれない。この歳になってやっと「人間の脳はバカだ」と分かってきた。老妻を叱らず寄り添うことにした。

禅宗の小冊子で読んだ僧侶U師の話。僧衣のまま乗った列車内で同席の男性に相談を受けた。自分の後は無縁墓地になるという悩みである。U師は、お寺さんとよく話をしなさいと答える。そして愛読書「臨済録」を開いたが、自分は彼の真心に答えたのかと自問する。男性が降車の身支度をはじめた時、U師はとっさに「臨済録」を示し、ここに「立つところ皆真なり」とあります。あなたが誠意でお墓を守ることが悔いのない真実になりますと告げる。男性は感謝し涙を拭って下車していった。

U師に感動の手紙を送ったら丁重なお礼状をいただいた。これは禅の有言の教えだが、これに対する無言の教えもある。実名を挙げれば神田寺のご住職だった故友松円諦老師は、戦前のラジオで仏教講座を持った高僧。多少のご縁があったので、奥様を亡くされた折りにお寺の、師専用の小さな執務室でお悔やみを申し上げた。肩を落として老師は無言。やおら発したのは一言、「さびしいね」。死について高僧のありがたい一言があろうかと思っていた自分を恥じた。(2020・8・20 山崎義雄)