ババン時評 日本語を忘れた?日本人

ある地方都市で100人ほどの子供や大人を教える書道塾の先生は、書を教えるだけでなく、時には子供達に言葉遣いや礼儀作法も指導する。先生は穏やかなお人柄で生徒を厳しく叱ることはないが、心中穏やかならざる事例に出くわして言葉を失うこともある。

最近、事情があって2人の女の子が塾をやめた。1人目の時は、ついてきた母親の「うちの子、やめますから」という挨拶にただ唖然! もう1人の子は、塾をやめなければならないと先生に訳を話した。その子を送って先生が玄関まで出たら、少し離れた場所にその子を迎えに来ていたらしい母親がいて、先生にちょっと頭を下げただけ。そして「なにしてんのよ」という声が娘に飛んだという。

3つ目は、新たに大人の部に入門してきた中年女性のケースである。その女性、畳敷きの教室の、先着の生徒がポチポチと座る机を見渡して「どこに座ったらいいでしょうか」と聞くので、「空いているところ、どこでもいいですよ」といったら、スイスイと進んで遠慮会釈もなく床の間近くの中央に座ったという。

それで思い出したのは、先ごろ亡くなった漫才界の大先達・内海桂子さんが、だいぶ以前にテレビで話していたことで、前にも書いたことがあるが、近頃の芸能界の若者は言葉を知らないと言い、その例として、メシは食う、ご飯は食べる、御膳はいただくというのだ。なんでもかんでも「食う」で片づけるな、と怒っていた。

評論家の宮崎正弘さん・渡辺惣樹さんの対談本で、渡辺さんが「英語の日本語訳には自信があるが、英語での討論や日本語の英訳には自信がない」と言っている。英語の日本語訳が楽なのは「英語にある概念で日本語に置き換えられないものはない」からだ。英語での討論や英語の日本語訳が苦手なのは、「考えるときは豊富な日本語で考え、それを英語で探すから時間がかかる」からだ。

ついでに「韓国語は少ないから語彙が多い英語で考えた方が楽だ」といっている。これに宮崎さんが、「中国語もそうだ。あれだけ漢字の字数が多いのに概念が少ない。中国の「議会」「民主」「法治」どころか「共産主義」まで和製漢語だ。憲法に至っては70%以上日本語だ」と語っている。

かくてお二人は「豊穣すぎる日本語」についてたっぷりと語っているのだが、誰でも活発に意見を開陳できるネット時代、デジタル社会において、残念ながら昨今の日本では、上の実話のように日本語(の心)を忘れた、というより知らない日本人が増えてきている。と思うのはただの杞憂だろうか。(2020・9・3 山崎義雄)