ババン時評 喜怒哀楽の“馬鹿野郎”

ネット上で、橋下徹氏が怒っていた。安倍首相の辞任記者会見における記者諸氏の質問についてである。まずは、心ならずも辞任する安倍首相に対して、「長い間お疲れさまでしたくらいいえねーのかよ」と言うのである。過激な発言で物議をかもす橋下氏だが、この意見には賛成だ。そう思いながら記者会見の模様を見ていた視聴者は多いだろう。

橋下氏の挙げる記者会見におけるバカな質問の代表は、「後継者として意中の人は?」という質問だ。これに対して氏は、「僕なら『そんなこと言えるわけねーだろ! よく考えろ! バーカ』くらい言っていただろう」という。こんなバカな質問にも安倍さんは丁寧に答えていたと橋本氏は言う。

さらに「今日はプロンプターを利用していないが、なぜか」という質問もやり玉にあげる。たしかに日本を代表するマスコミの一線記者が、政権の座を去る首相に聞くべき質問ではない。これに対しても安倍首相は、たしか、原稿をつくって推敲して完成する時間がなかったと誠実に答えていた。

この記者は、プロンプターなしで真摯に意中を語った安倍首相のすごさ、言語力・表現力の確かさを後で記事にでもコラムにでも書けばいい話だ。なにより、安倍政治の核心について、日本の将来について聞くべき一線記者の目線の低さ、言葉の貧しさが問題で、こんなことではマスコミの衰退を早めよう。

橋下氏の「バーカ」で脱線するが、「バカ」ないし「馬鹿野郎」にも深い味わいがある。「バカ」は俗で下品だが、少し格上?が「馬鹿野郎」だろう。先に「ババン時評 日本語を忘れた日本人」で、日本人は豊穣な日本語(の心)を忘れかけているのではないかと書いた。そして日本語は英語、韓国語、中国語などに比べても特段に豊穣な意味を持っていることを識者の意見を引いて述べた。

つまり、バカないし馬鹿野郎には怒りの感情を発するだけでなく喜怒哀楽の情趣・心がある。特に「馬鹿野郎」は人の死を悼むような悲しみの折りにさえ口を突いて出ることがあり、喜びや楽しさの感情の高まる折にも口を突いて出ることがある。これが豊穣な意味をもつ日本語の馬鹿野郎である。

と書いてきたが、今は、喜怒哀楽レベルの馬鹿野郎の下位に、薄っぺらで意味のない「バカ」や「バーカ」もありそうだ。過去には吉田茂の「馬鹿野郎解散」もあるが、無意味で低俗な「バカ」言葉が乱発・多用されては日本語の味が薄くなり思考力が低下する。(2020・9・21 山崎義雄)