ババン時評 不公平・不平等は世の常

コロナ対策の目玉である国の観光支援策「GoToトラベル」事業が国と行政の不手際で混乱した。国からの補助金支給が間に合わず、一部の旅行会社で割引旅行商品の販売を中止したり割引額を引き下げたりした。それによって旅行を取りやめたり、予約の変更をしたり、知らずに割高の旅行をして損をした人たちが、不公平だ、ワリを食ったとマスコミやネットで騒いだ。

話は少し大げさになるが、平等とか公平というと、そもそもはアメリカ独立宣言における「自由・平等」思想やフランス革命における「人権宣言」にまでさかのぼることになる。現代では国連による「世界人権宣言」があり、わが国憲法にも、「自由権」や「平等権」「社会権」など基本的人権に関する条項がふんだんに?盛り込まれている。こうまで声高に唱え続けなければならないほどに、自由・平等の実現は難しいということだ。

冒頭の「GoToトラベル」事業でワリを食ったケースは実に身近で小さな?不公平のケースだが、これをグレードアップすると現代的な「所得格差」「学歴格差」「男女格差」「地域格差」などとなる。このレベルの格差にも、公憤ならぬ私憤で不平・不満、文句や愚痴を言いたくなる人は少なくはないはずだ。

「GoToトラベル」事業における国の不手際は責められるべきではあるが、赤羽国交大臣が至急、補助金追加の支給をやると表明し、そんなに簡単に支給できるのなら最初から手当できたのではないかと批判された。この問題は、そんなに赤羽大臣が慌てるほどの問題なのだろうか。言ってはナンだが、今回の一部旅行者のように割を食う人はどこにでもいる。

社会的にも生活の上でも不公平・不平等は世の常である。今やそういう個人的な不平・不満まで平気で表に出す時代になった。不平・不満を不公平・不平等に置き換えて正当化し、国や他者に責任転嫁し、コトの解消を他者に要求する時代になった。不公平を自分の問題としてその解消を計るためにもくもくと働いたり努力することをバカらしく思うような時代になった。

問題は、そういう風潮におもねるように、コロナ対策で国は紙幣を刷ってバラまくことに躊躇しなくなっていることだ。不平等をどう納得し対処するかは、人それぞれの人間的な“力量”によるところもあるのではないか。まずは「自助、共助、公助」の「自助」が必要だろう。国も個人も、少しタガを締めなおさないと、日本人もどこかの国のように、こらえ性のない、品のない国家と国民になりかねない。(2020・10・21 山崎義雄)