ババン時評 学術会議“混迷”脱出へ

先にこの「ババン時評」で「総理は我慢が足りなかった」と書いた(10・13)。そして、「学術会議見直しと6名の任命拒否問題は、はっきり切り離して処理すべきだった。学術会議見直しは堂々たる政策課題だが、6名の問題は取るに足らない些末の問題だ」として、「負けて勝つ。ここは学術会議問題を国民に認知させたことで良しとして、条件付きとかそれらしい理屈を構えて6名を追認すべきだったのではないか」と書いた。

菅首相は、日本学術会議が推薦した6名の会員候補者の任命を拒否した理由を問われて「総合的、俯瞰的」な観点から判断したと、「高踏的」でヒトを食ったような答弁をした。そこから「6人問題」は紛糾した。本格論戦の火ぶたを切った11月2日の衆院予算委では、さっそく立民党議員の“口撃”を浴びた。質問者に目をやらず、裏方が作った付箋だらけのカンニングペーパーに目を落とす首相の姿は、国民の目にどう映ったのだろう。

答弁も冴えないもので、「官房長官当時から選考方法、あり方について懸念を持っていた」と言い、「候補になるのに現会員などの推薦を必要としているのは疑問だ」などと言った。しかしこれらはすべて、学術会議そのものの制度改革のテーマではないか。6人の任命拒否では「正直言ってかなり悩んだ」とも語った。いずれの言い分も6名拒否の理由ではない。本来の任命権は首相にあるとしても「政府が行うのは形式的任命」というのが過去の政府答弁だ。

だから「学術会議見直しと6名の任命拒否問題は、はっきり切り離して処理すべき」であり、「その上で堂々と学術会議の問題を論議すべきだった」のだ。しかしここまでこじれると菅首相もメンツがあり引っ込みがつかないだろう。とはいえ、持ち前の粘り腰で“差し戻し審”として、改めて学術会議の再推薦に持ち込めたとしても、菅首相の“ごり押し”が通ったとか案外恐ろしい人だと見られることはあっても「正義」が通ったとは見られないだろう。

幸か不幸か、野党も学術会議の組織問題と6人問題をごちゃまぜにして首相を責めている。野党から学術会議の見直しにNOを突き付けられる心配はない。そこで例えば、本命の学術会議制度を見直す公正な機関を立ち上げ、6人問題もそこに預けて棚上げにしてはどうだろうか。平行線の蒟蒻問答を繰り返していては国民に失望される。策を練って学術会議問題の“混迷”からの早期脱出を図らなければ菅政権の足元が揺らぎかねない。(2020・11・5 山崎義雄)