ババン時評 「改憲」逃げてはいられない

先に発表された読売新聞社と米ギャラップ社の日米共同世論調査では、日本で信頼されている組織や公共機関のトップは、東日本大震災のあった2011年から9回連続で「自衛隊」だった。昨年は首位を「病院」に譲り、自衛隊は2位となった。これは言うまでもなくで新型コロナウイルスで活躍する医療機関への信頼であり、自衛隊への信頼が薄れたということではないだろう。

この調査に関連して、読売(1.4)の「編集手帳」氏が、豚コレラの発生した数年前、豚の処分に従事した自衛隊員を取材した折に、自衛隊員が「鳴き声が頭から離れず、眠れない」と語っていた―、と言う。そして「今は、鳥インフルエンザの対処に多くの隊員が各地で携わっている。心労は計り知れない」として、「自衛隊が活躍する場面は本来、少ない方がいい」と記している。

同氏はついでに?吉田茂元首相が1957年に防衛大学校で行った演説を引用している。すなわち、「自衛隊が国民に歓迎されチヤホヤされる事態とは(中略)国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱している時だけだ」と言い、「君たちが日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ」と訓示した(回想10年)と記す。口の悪いのは別にして、自衛隊の出番が少ない方がいいのは確かにそのとおりだ。

「豚の鳴き声」と「日陰者」で思い出すのは、1991(平成3)年の湾岸戦争が終わった後、ペルシャ湾の機雷処理のために自衛隊の掃海部隊を送った時のことだ。自衛隊初の海外派遣だったが、出航する自衛艦を大勢の関係者が見送る埠頭で、テレビカメラが幼子を抱いた自衛隊員の妻に、不安ではないですかというような質問をし、とっても心配ですというような答えを収録していた。うかつに感想を言えないが、チラと日本の自衛隊員は血を流す戦場にいけるのかナと思った覚えがある。

この湾岸戦争では、日本は総額130億ドルの資金提供をしたものの何の感謝もされず、「カネで平和を買うのか」などと揶揄され、戦場への部隊を派遣しなかったことで国際社会から厳しく批判された。それで同年の戦争終結後、あわててペルシャ湾に機雷の掃海部隊を送ることになった。これが我が国初の自衛隊の海外派遣となった。

翌年にはPKO協力法が成立して、カンボジアへのPKO部隊の派遣となり、順次、海外での活動は本格化していった。しかし自衛隊の海外派遣にはその都度、特別立法の措置が必要になる。他国ならぬ我が国が標的にされたらとてもじゃないが間に合わない。いつまでも憲法改正を逃げてはいられないはずだ。(2021・1・4 山崎義雄)