ババン時評 「親子判定」今むかし

昔話の大岡裁きで、子供の親権を争う2人の女に、子供の両手を双方から引っ張り合いをさせて、どっちが本物の母親かを決める話がある。「私の子だ」と2人の女に両方から強く手を引っ張られて痛さに子供が泣く。大岡判決は、泣く子がかわいそうで手を離した方の女を母親であると裁定する。もちろん作り話である。いまならDNA鑑定で簡単に決着がつくのだが、むかしの親子関係の認定はさだめし難しかっただろう。

先に「無戸籍で揺れる“血の絆”」というテーマで一文を書いた。戸籍をもたない人間、すなわち無戸籍者は、極端な場合は自分が誰の子であるかが分からないということである。あるいは親子で無戸籍のまま一緒に住んでいるとか、人から聞いて親(の顔)は知っているような場合でも、戸籍の上では親子と認められていないということだ。今進められている民法改正の大きな狙いは、生まれた子を誰の子とするかという嫡出推定制度の見直しだ。

大岡裁きの続きのような話だが、これは現代の話で、知人の弁護士先生に聞いた話ではあるが信じがたい話で、ただの笑い話かもしれない。話は、外で女に産ませた我が子を認知しない男を相手取って、その女が財産分与がらみの訴訟を起こした。互いに譲らず裁判でもめた挙句、裁判官が問題のその子供を法廷に連れてくるように被告に求めた。裁判官は、法廷に出てきたその子供の顔と被告の顔を交互に見比べた上で「実子である」と判定し、被告に認めさせて結審したという。

さて、この話は正真正銘の実話だ。ある地方都市で、教員として学校長まで歴任し、市の教育長を務めた人が亡くなった。葬儀の折り、多くの会葬者の中の一人、親族の見知らぬ中年男性が香を手向けた。その後、何かのきっかけで、その男性は故人が外で作った“隠し子”だということが判明した。

その驚くべき事実に直面した途端に、故人の遺族や親族は、その男性が故人に生き写しだったので、実子であることを即座に納得した。そして「実印が現れた」と言って驚いたという。この話にはおまけがあり、後日、身内となったその男性を遺産相続の話し合いに迎えようとしたら、生前良くしてもらっているので結構ですと断られたという。

これからは、そんな浮世離れした話はもう聞けないだろう。それにしてもDNA鑑定以前、長い歴史における親子認定は悲喜こもごもの色濃い情の世界だったろうが、今は嫡出認定でもめればDNA鑑定となり、無味乾燥の索漠たる科学の世界になった。

さらにこれからは男女の付き合いも、親子や家族のあり方も大きく変わる。これまでの夫婦別姓問題や新たなジェンダーフリー(社会的性差からの開放)問題などややこしい問題が山積する。もはや明治以来の古臭い法律では通用しない時代になっていると言えよう。(2021・2・25 山崎義雄)