ババン時評 たかり根性と負け犬根性

経済とは経世済民、世のため人のために国が行う根幹的な政策だ。したがって、新型コロナによる飲食業やサービス業などの経営難と、失業などによる国民の生活苦を救うための財政支出は、まさに国による喫緊の経済政策だ。ところがi今、ワル知恵を働かせた「持続化給付金」などを不正受給するという、許しがたい「コロナ犯罪」が続発している。

要するに、真に救いの手を差し伸べなければならない経営者や生活者の中に、そういう許しがたい奴らが紛れ込んでいるのだ。極端な場合は事業をやってもいないのに策を弄して持続化給付金を申請するとか、帳簿をごまかして“コロナ被害者”になりすます者や、もらえるものならもらいたいと心に魔が差す人間まで混在する。

そうした“不心得症候群”に陥る人間の性根に、「たかり根性」と「負け犬根性」がある。本来の「たかり」は、「ゆすりたかり」という言葉もあるように他人の金品をゆすり取るとか食事をおごらせるなどの意味だが、今は、ゆするとかおごらせるという姿勢で強く出るより、単にずるくうまく、時には卑屈な態度で金品や食事などにありつくという意味合いで使われる。

そういうズルい根性が「たかり根性」で、他人ならぬ国家に向けてその根性を発揮した時に給付金などの不正受給になる。一方、「負け犬」は、けんかに負けて、尻尾を巻いて逃げる犬のことだが、転じて、競争や争いに負けてすごすごと引き下がる人間のことを指す。今は後者の意味で使われ、そういう情けない根性が「負け犬根性」だ。

根性というからには「習い性となる」わけで、「負け犬根性」も負けグセがついていつしか本来の性格のようになってしまうのだ。そしてこの「負け犬根性」はもっぱら内に籠るから、当然、意図的な「たくらみ」をもって不正受給など考えることもない。しかし、この人たちが生活困窮者となれば、真っ先に国が救いの手を差し伸べなければならない対象者となる。

さて問題は、今、コロナ対策で際限もなく国が助成金や支援金を支出しているが、その結果が国や公に頼る“不心得症候群”を増やす恐れがあるのではないかということだ。要するに、国がくれるというならそれをもらわなければ損だという思い違いや、国や公の援助を受けることが当たり前だという心得違いやそれを許す世の中の風潮が強まる恐れがあるのではないかということだ。

それを防ぐための対策・処方箋は簡単ではないが、そこに国の将来にとって看過できない大きな問題があることだけは確かだ。最初に、コロナ対策は経済政策だと言ったが、“不心得症候群”は経済の根幹をむしばみ国の根幹を危うくする。国の富を増やし国民の暮らしを豊かにするという経済の目指すところとは真逆の効果を生むことになる。(2021・4・1 山崎義雄)