ババン時評 資本主義から「人新世」へ

いま、地球と人類の歴史の新しい「時代区分」として「人新世」(ひとしんせい、あるいはじんしんせい)という考え方が注目されている。これまでの地球の地質的な時代区分は、地質や気候や生物相など自然の大変動期で区分されてきたが、現代は、自然破壊など人間の側に原因のある大変動時代だというのが「人新世」の認識である。

この地球が誕生したのは46億年前で、生物が出現したのが、およそ5億4千万年前だといわれる。その生物誕生以後が、学問上の「地質時代」として、古生代中生代新生代、そしておよそ1万年前から現代にいたるまでの「完新世」と区分されている。

2年ほど前に刊行されたクリストフ・ボヌイユ、ジャン=バティスト・フレソズ著『人新世とは何か〈地球と人類の時代〉の思想史』は、「人間」の責任というが、環境破壊をもたらしたのは先進国の責任であり、度重なる世界戦争など大きな要因があると指摘する。

そして、資源を無駄遣いする大衆の欲望に責任を拡散することに異を唱える。そこから新たな時代区分は「人新世」に限らず、化石燃料で環境を破壊した「熱新世」でも、愚かな人間による「無知新世」でも、資本主義がもたらした「資本新世」でもいいではないかと提案する。

そんな折に、「マルクスへ還れ」という意表を突く提言の書が出た。斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(講談社新書)である。本書に言う「マルクス」は古いマルクスではなく、新たなマルクス文献の発掘と分析を基にした新たなマルクス解釋であり、本書はその「マルクス新思想に基づく21世紀の新資本論」である。

すなわち、現代は資本主義経済が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代であり、その解決策が、晩期マルクスがたどり着いた、「脱成長コミュニズム」構想だという。それは、資本主義の個人主義的な生産から、「協同的富」を共同で管理する「コモン」の思想で、生産手段も、経済も、地球環境も(人民が?)共同管理するというのが本書の主張である。

たしかに資本主義は、ソ連の崩壊で共産主義が退場した(ように見えた)時から、ライバルとの緊張感とバランス感覚を失って、人・モノ・カネのあらゆる資源を貨幣に変える貪欲な本性をむき出しにしたきらいがある。すでに、資本主義も共産主義も単独では立ち行かないことを歴史が証明している。そして今、「資本主義」と「共産主義」に代わる、目的と手段と成果の「共有主義」を、その新概念による「人新世」を目指すべきではないかという課題が提示されている。(2021・4・25 山崎義雄)