ババン時評 金メダルかじりは表現の自由か

あまりに大騒ぎし過ぎるのではないか。名古屋市河村たかし市長が、東京五輪の優勝選手の金メダルをかじったということで、ネットなどで厳しい非難を浴びている。おそらく河村氏は、市役所を訪れた東京五輪ソフトボールの後藤希友選手の金メダルを首にかけてもらって、思わずマスクをはずしてかじって見せたということだろう。河村氏の茶目っ気も災いしたか。

河村市長は、選手自身がかじってみるというよく見た光景を真似して見せただけだろうが、今はコロナ下の非常事態である。非難を受けて、大変なしくじりをしたと気づいた河村市長は即座に謝罪した。だが簡単には許されず、心ならずもパラリンピック行事への参加辞退をはじめ公の催しへの出席辞退も迫られ、市長としての公務まで制限される結果になった。

非難の急先鋒でモテモテなのが、芸能界の太田光や落語家の立川しらくだ。彼らは、河村市長のかじった金メダルを「表現の不自由展」に出品したらどうかとまで言っている。彼らは、河村氏の冗談交じりのメダルかじりが表現の自由問題のレベルだと本気で思っているのだろうか。メダルかじりは表現の自由でも創作の自由でもあり得ない。もちろん河村氏自身が「表現の自由だ」とケツをまくっているわけではない。

私は見ていなかったが、太田氏はレギュラーを務めるテレビ番組で、河村市長の金メダルかじりは「見ていても不快だ。表現の不自由展であれを展示したいって言ったら、どうやって河村さんは反対するんだろう」とコメントしたという。河村市長がかつて「表現の不自由展」に反対した際に「神聖なものを傷つけるなって反対していたけど、お前がやったんじゃないか」と皮肉ったとか。

河村氏が、かつて「神聖なもの」と言ったかどうかまでは知らないが、2年前に行われた国際芸術祭の「表現の不自由展」の折りに、慰安婦少女像や天皇の肖像を扱った作品の展示に、「市は大変な税金を使っている。こんなことをやるとは―」と驚いて中止を求めたことは確かである。ついでに言えば、当時の日本維新の会松井一郎代表も「税金を投入してやるべき展示会ではない。日本人をさげすみ陥れる展示だ」と発言した。しかし芸術祭のボス的立場だった大村秀章愛知県知事は「金は出しても表現内容に口は出さない」と言った。

右や左の極論が許されるのも表現の自由だが、他人の人格まで傷つけるような言動は許されない。無関係な表現の自由まで持ちだして河村氏の失敗を非難する太田・立川氏らの軽口が支持されることは嘆かわしい。これはまさに軽佻浮薄のネットやメディアの社会と、人の失敗を許さない不寛容な時代の縮図ではないか。(2021・8・13 山崎義雄)