ババン時評 習氏個人礼賛の「歴史決議」

中国共産党の「個人崇拝禁止」の決まりは消し飛んだ。いまや習近平国家主席への個人礼賛は黙認を超えて公認となった。来年の党大会に向けていよいよ習氏の「長期政権」作戦が始まった。共産党中国の建国の父とされる毛沢東と、その次を受けて経済の改革・開放を推し進めた鄧小平の「歴史認識」以来40年ぶりに、習主席による「第三の歴史認識」が、この度の共産党中央委員会「6中総会」で表明され、採択された。

それを受けて早速、官製メディアを動員した「習思想」の宣伝が始まった。「人民日報」のネット版「新華網日本語版(11・12)では、歴史認識は「党と人民の百年にわたる奮闘は、数千年に及ぶ中華民族史上の最も壮大な叙事詩」だとして、結党以来の100年の歴史を概観する。しかし「壮大な叙事詩」に文化大革命天安門事件は含まれないらしい。

「6中総会」における「歴史的決議」に関する公表全文では、毛沢東同志は、「階級的な情勢や政治状況についての誤った判断のもとに文化大革命を起こし、指導した」とし、天安門事件については「1989年に重大な政治的騒動が起き、党と政府が対峙した」としているが、国内向けキャンペーンの「人民日報」記事ではこの手の事件には触れないらしい。

そして、これからの100年の歴史への転換点に立って、「より偉大な勝利と栄光を勝ち取る」ための党の「核心」たる習主席の思想と役割の宣伝キャンペーンが展開される。記事では、「農村によって都市を包囲し、武力によって政権を奪取するという革命の正しい道を切り開いた」毛沢東思想を称揚し、「党と国家の活動の中心を経済建設に移して改革開放を実行した」鄧小平理論を認める。

しかし、歴史的に見れば中国共産党創設の前に孫文革命があり、党創建時のリーダーは、陳独秀(日本留学者)らであり、彼らは、党設立以前の共産主義思想について、日本の川上肇らの研究文献に学んだという。毛沢東らはその後に続くリーダー層だった。毛は共産党創立2年目の1922年、10数名による第2回大会に出るつもりで上海に行ったが、会合場所が分からず出席できなかったと言われ、決して華々しい中核的な党創建リーダーではなかったようである。

そして人民日報は、「中国共産党は一つ目の百周年の奮闘目標を達成し、二つ目の百周年の奮闘目標の実現に向けた新たな道のり」につき、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」が実践されるとする。また、この思想は「全党・全軍・全国各民族人民の共通の願いが反映されており」、「必ずや新時代の新たな道のりにおいてより偉大な勝利と栄光を勝ち取るであろう」と結論づける。習氏の党と中国はどこまで肥大化するのであろうか。(2021・11・18 山崎義雄)