ババン時評 いじめの元凶?デジタル端末

デジタル万能の世の中で、教育面でも小中学生のデジタル教育が急速に進んでいるが、よいことばかりではなさそうで、予期しないマイナス面が露呈されてきた。一人ずつに配られた端末を悪用したトラブルが多発しており、東京・町田市では、小学6年の女の子が、端末に書き込まれたいじめを苦に遺書を残して自殺を図るなど、痛ましい事件まで起きている。

いきなり結論的なことを言うようだが、思うに教育のデジタル化を急ぎ過ぎたのではないだろうか。マスコミの調査などによれば、学習内容の理解度は、デジタル教材より圧倒的に紙の教材の方が高いという。当然、文章の読解力も教科書の方が明らかに高いようだ。

小中校のデジタル化を急ぎ過ぎた結果が、肝心の教師へのデジタル教育も十分におこなわれず、デジタルに自信のない教員を生んでいるとも言う。そんな教師に教わる子どもたちも気の毒だ。それやこれやで小中校生への正しいデジタル端末の使い方教育が遅れることになった。そして、いじめに関して言えば、おそらく端末操作の教育以上に大事な人間としての「しつけ」、デジタル教育における「情報モラル」ともいうべきしつけがおろそかにされたことが問題だろう。

「情報モラル」についてはいろいろな論考が発表されているが、常識的に考えれば答えは簡単だ。小中学生対象のデジタル教育レベルで、かつ、いじめに絞って考えれば、自分が発して相手が受けとる情報を相手の身になって考えること、自分がそのような情報を受け取ったらどう思うかを考えさせることに尽きるだろう。それを子供たちに具体的に、繰り返し議論させるなどして身につけさせる必要があろう。

同時に、子どもたちが書き込む情報を教師や教育委員会や専門家などの適任者が監視するシステムを作るべきだ。実態を把握し、人を傷つける書き込みを検出して個別指導を行い、公の指導に活かすべきだ。強制を伴わないしつけや教育はあり得ない。特に幼少期や小中校においては相当程度の強制力が必要だ。教える側に温かい厳しさがあり、教わる側に受容する資質・態度を身につけさせなければ、教育やしつけが功を奏することはないだろう。

そもそも、無責任に他人を誹謗中傷することがネット世界の弊害であり、それはデジタル教育を設計する当初から容易に想定されたはずである。教育の目的からしても、少なくとも現在の教育は紙の教科書が主役で、デジタル端末は補助的・副次的な役割のはずだ。つまりは、デジタル教育推進を急いで、デジタル端末を主役にしようとしたことが間違いのもとだということではないか。そろそろ文科省や政府も、この間違いを認めて、デジタル教育の修正を図るべきではないだろうか。(2021・11・25 山崎義雄)