ババン時評 年金生活者は若者のお荷物か

昨年暮れのあるテレビ座談会で識者?の一人が終わりの一言で、高齢者の医療費負担を上げるのは当然だと言い切った。同様に、今は高齢者の年金削減も当然視されている。医療費の負担増も年金減らしも、あえて言えば、国が老人の懐に手を突っ込むような仕打ちである。

もちろん、このままでは医療費も年金も維持できなくなることは目に見えている。とりわけ今年から高齢化が加速する。団塊の世代が75歳を迎えて後期高齢者の仲間入りをする今後3年ほどの間に、急激に「高齢者の高齢化」が進むことになる。

団塊世代はすでに健康寿命(男性72.14歳、女性74.79歳)を超えているから、さらにこれから病気持ちが増え、医療費が増えることになる。国の社会保障制度だけでなく、高齢者医療費の増大で財政悪化が進む企業の健康保険組合も解散に追い込まれるケースが増えるとみられる。

とは言え、社会保障制度や医療費問題の解決で、改善の目を高齢者の懐に向けるという短絡的な国の所業は本当に当然なのだろうか。かつて「100年安心の社会保障制度」を掲げていた国が、対処療法的で緊急避難的な高齢者の負担増という手段を取ることが許されていいのか。

もう一つ、社会保障制度改革で大きな疑問は、年金老人を現役世代が支えるという解釈がいつの間にか国民の常識となっていることだ。その支え手がどんどん減ってきて今や1人が1人を支える「肩車型」になりつつあるという危機的な状況説明が今や当たり前になっている。

だが、そもそも年金世代の高齢者は、戦後の、子が親の面倒を見る時代が去って、自力で老後を生きる覚悟を迫られ、自らの暮らしを保障する国の年金制度を信じて加入し、現役の支援ではなく国の制度を信じて掛け金を積み立ててきたのである。

「肩車型年金論」を国が黙認しては、なんで俺たちが老人の面倒を見るのかとか、年金加入はばかばかしいと言った不心得な若者が出てくる。これでは老若の離間を招き、年金加入者が減少し、将来、無年金者や国の厄介になる者が増える心配がある。

そうならないための年金財源確保には、端的に言えば消費税アップと高所得への増税しかない。国は今、「社会保障と税の一体改革」なども進めているが、乏しい財源の配分を工夫するレベルではなく、消費税アップの具体的な検討と高所得への課税強化を早急に行うべきだ。

さらには、直接的な財源確保にとどまらず、岸田内閣がこれから打ち出す「新しい資本主義」の具体的成長戦略の多くが援用できるはずだ。国は本気で100年安心の社会保障制度を設計し、そこに至る工程を具体的に示して国民の理解と安心を得るべきだ。そして目下の課題は、国の年金失政をあいまいにするような「肩車型年金論」を早急に払拭、消滅させることだ。(2022・1・11 山崎義雄)