ババン時評 「失言」の“土壌”は人間性

「生娘をシャブ漬けにしてやる」と言った牛丼チェーン「吉野家」の重役の話を先に書いた(『ババン時評 モノも言いようでカドが立つ』)。これはその続きのような話である。この舌禍事件の報に接した時、まず最初に思ったのは、不用意な発言をしたものだという感想だが、もうひとつは、この“受け狙い”が受けて?受講生の間に笑いが生じたかどうか、という低次元の興味だった。

あえて2つの場面を想像すれば、発言の異様さに唖然・呆然、反感・嫌悪で沈黙の気まずい空気が会場に広がったか―。いま1つは、伊東氏の“ぶっ飛び発言”で、会場に大爆笑が起きたか、両極端の場面が想像される。しかし実際はその中間で、前者の気まずい沈黙でも後者の大爆笑でもなく、おそらく会場は、沈黙寄りか微苦笑寄りの気まずい雰囲気になったのではないだろうか。

と言うことで、笑いがなかったとは言い切れないものの、笑いが起きたとしても、発言の内容に同感する笑いだったとは思えない。せいぜいその場の調子を合わせようとする笑いか、講師へのお追従笑いか、苦笑に近いものになる。こういう笑は、講師の“口ぶり”次第では笑いの強要にもなり、聞き手には苦痛の笑いにもなる。

その“口ぶり”だが、近ごろの世相では、少なからず毒気を含んだ物言いが増えてきているように思う。政治家や権力者が発言のインパクトを強めようとしてそういう言葉を選んだ言い回しをする。しかし先の伊東氏が意図したかもしれない相手を“中毒化”させる目的の毒気のさじ加減はすこぶる難しい。毒気が強すぎると反感を呼ぶ失言になり、舌禍事件になる。

3年ほど前に、議員の失言が止まらないというので、自民党が「失言防止マニュアル」を作った。その後も失言が相次ぎ、あまり効果はなかったようだが、防止策としては例えば、マスコミなどには問題発言箇所だけ「切り取られる」から、短いセンテンスで話せ、とか、歴史認識、政治信条、ジェンダー、事故・災害、病気・老い、ウケ狙いの雑談などに気を付けろと言っている。

こんな小手先のノウハウで失言を防ぐのは、特に失言ヘキのある人にはムリだろう。失言の“土壌”である「人間」が改まらなければ失言の根は断ち切れない。そもそも失言は、人間だれしも言ってはいけない“本音”を抱えていること(我慢はしているが言いたくなる)と、調子に乗って強がりや虚言を弄するヘキ(くせ)を持っている、という2本の太い根っこから発すると思われる。

要するに失言する人としない人の違いは、人それぞれの人間性という“土壌”の違いにある。この“土壌改良”は簡単なものではない。特にエライ人で、重大な失言をする人には失言防止に努めてもらうより役割交代で退いてもらう方がいい。スケールは小さいが先の伊東氏がその一例だろう。(2022・5・3 山崎義雄)