ババン時評 温和政治家 藤井裕久氏逝く

衆院議員の藤井裕久氏が、この7月10日、神奈川のご自宅で亡くなった。90歳だった。穏やかなお人柄で地元民に慕われ、テレビなどを通じてソフトな物腰と物言いで国民にも信頼され、政界では政策通で重きをなした。藤井氏は、大蔵省(現財務省)から、1977年参院選で初当選し90年に衆議院に転じ、93年に小沢一郎氏らと自民党を離党、新生党を結成した。

以来、小沢一郎氏の“剛腕”による解党・改党・合流に従い、新進党自由党を経て2003年から民主党に移籍。各党の重要ポストを務め、その間の細川護熙内閣では蔵相。羽田孜内閣でも続投。鳩山由紀夫内閣財務相などを歴任。12年の衆院選に出馬せず政界を引退した。

テレビなどで拝見する藤井さんの発言姿勢は、議論に激することもなく、人の発言に割って入ることもなく、指名されれば明瞭な趣旨の発言を手短にまとめて口を閉じるという、見事な形があった。それを如実に思わせられた思い出がある。それは、当落を繰り返した民主党代議士の小さな集まりに顔を出された藤井さんに、参加者の一人としてお会いした折のことである。

その折に、小さな施設の小さな部屋で、立ち飲みで紙コップの酒をすすりながら消費税や税制改革についてお尋ねしていたら、そんなテーマで明日、NHKに出ますとおっしゃる。ぜひ、今お聞きしたお考えをおっしゃって下さいと申し上げたところ、「発言の機会が回ってきたら申し上げます」というご返事で、改めて藤井さんの言論姿勢と真摯なお人柄を認識させられた。

そのような機会が2度あったが、最初にお会いした折には、野党政治についていくつか疑問を呈したところ、「おやじさんは承知している」などと、「おやじさん」なる言葉が何度も藤井さんの口から出た。おやじさん?、こちらからお尋ねしたか、こちらの推量で見当をつけたことだったか忘れたが、おやじさんとは終始行動を共にしてきた小沢一郎氏のことだった。10歳年下の小沢氏に対して畏敬の念をもって「おやじさん」と呼んでいたのである。これも藤井さんのお人柄を偲ばせる。

ついでに言えば、小沢一郎氏が田中角栄を「おやじ」と呼んで慕っていたことはよく知られている。田中に可愛がられ、竹下登に付いて造反した後も、ただ一人田中邸への出入りを許され、田中真紀子にも兄同様に慕われていたといわれる。金丸信にも可愛がられ、総理の座を薦められた話も有名で、小沢氏は、年寄りには随分かわいがられたが、波乱万丈の政界渡世で組んだ同士や育てた政治家には随分造反された。そんな中で最後まで小沢氏を裏切らず行を共にしたのは藤井さんだった。

だから小沢氏は、ツイッターで、「深い悲しみを覚える。長らく行動を共にしてきた同士だった。難局に何度も助けられた」として藤井さんの逝去を悼んだ。なお、民主党野田佳彦元首相はコメントを発表し、「突然で、言葉も見つからない。私にとっては経済・財政、歴史、人生の師でした」と悼んだ。藤井裕久さんのご冥福を祈る。(2022・7・15 山崎義雄)