ババン時評 夢は故郷の山野を駆け巡る

 テレビで、「なぜそこ?日本人!」と言う番組がある。最近、ある高齢男子が都会を離れて山深い故郷に帰り、一人暮らしをしている話が紹介された。関西の名門大学を出て、サラリーマン経験の後、学習塾経営で成功したのに、望郷の思い断ちがたく、塾を共同経営の妻に任せて一人故郷に戻った。故郷の山ふところに抱かれて“蘇生”し、彫った仏像をネットに出したら望外の値で売れたという。

 たまたまネットで  #石川啄木 についての古い新聞記事に出会った(2021‐08‐12 西日本新聞)。『石川啄木ほど望郷の念をたくさん詠んだ歌人は珍しい。岩手県 渋民村(現盛岡市)のふるさとを「石をもて追はるるごとく」出たものの、都会では「ふるさとの訛(なまり)なつかし」と停車場の人混みへ聴きに行く。「ふるさとの山に向かいて言ふことなし」「かにかくに渋民村は恋しかり」。漂泊の歌人の魂は故郷の山野を駆け巡ったことだろう―』。

 啄木には、「病のごと思郷のこころ沸く日なり目に青空の煙悲しも」の一首もある。「石をもて追はるるごとく」渋民村を「出でし悲しみ消ゆることなし」の思いを抱きながら、上京後は、上野駅に行って雑踏の中の懐かしい東北弁に耳を傾ける。「かにかくに」岩手山とその山裾の渋民村が恋しかったのである。貧困の中で代用教員や新聞記者などを勤めながらの26年の短い生涯だった。

 冒頭の、山深い故郷に帰った「にわか仏師」(失礼)も、知り合いや友人に会いたいのではなく、子供のころ、一人遊びの多かった山や川の「ふところ」が恋しかったようだ。その心は「帰心矢の如し」だったろうが、同時に、若いころは山野を跋渉した修行僧のように、歳とともに「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」であったかもしれない。特に後期高齢者ともなると、故郷の大事な人、友人・知人が減っていく。変わらないのは山河だけである。これも、幸いにも山河を変容させる大災害に見舞われなければの話だが―。

 いきなりだが、私の作詞した歌に「ふるさとよ」がある。一番だけ披露すると、「おーいおい 東京の雲よ 高く流れて北の 北の故郷に行け そして思い出山の頂に ふわり漂え ふるさと離れて 生きて振り向けば 辛い時励まして 力をくれた山 山がある」―。レコードはあまり売れなかったが、日本音楽著作権協会による東日本大震災の復興支援プロジェクトにわずかな印税を提供する形で参加した。幸いこの歌は、同郷の岩手県沿岸部出身者らの集ういくつかの会などで歌われている。

 人それぞれではあるが、歳を重ねるにつれて、いや増すのが望郷の念である。同時にその一方で、  #室生犀星 の詩「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて 異土の乞食(かたい)となるとても 帰るところにあるまじや」との思いで都会や「異土」に住む人もいるだろう。故郷へ帰るも帰らぬも、ふる里との縁が切れようが切れまいが、断ち切ることのできないのが望郷と郷愁の思いである。(2022・8・11 山崎義雄)